【熊本城のいま】「古城」の瓦「新城」に再利用か

©株式会社熊本日日新聞社

天正時代の銘が入った瓦を持つ関根章義さん。大天守の石垣から出土した=熊本城調査研究センター

 熊本地震からの復旧工事が進む熊本城天守閣で、大天守の石垣からさまざまな年代の刻印がある瓦が出土している。熊本市の熊本城調査研究センターの調査で、「天正十八年」の銘と思われる刻印が入った軒平瓦[のきひらがわら]の破片3点も見つかった。

 最新の研究では、熊本城の築城開始は1599(慶長4)年と推定されている。天正年間はそれより前の1573~92年だ。センターの関根章義さん(37)は「天正の瓦は『古城』から持って来て、再利用したのではないか」とみる。

 古城とは、加藤清正が現在の熊本城を築く前に造った城。絵図によると、中央区の第一高のあたりにあった。いまも石垣は残っており、積み方の特徴から熊本城の石垣より古く、天正時代のものと推測されている。

 センターの鶴嶋俊彦さん(63)によると、清正は1589(天正17)年、家臣に対して、翌年に小田原への出兵がなければ築城工事に取り掛かるように書状で指示。また90~91年ごろには、石垣や堀の工事を念入りにすることや、本丸の塀を造ることなどいくつも命令を出している。清正が朝鮮出兵から戻った2年後の1600(慶長5)年、いまの熊本城を示す「新城」の記述が現れ、これに対して「古城」と呼ぶようになったという。

 天正十八年の銘がある瓦は、これまで古城の南西に位置する高麗門跡からも見つかっている。門は城域の出入り口の役割を持っていることから、関根さんは「高麗門のあたりまで古城の城域だった可能性もある」という。

 では天正十八年の瓦は、いまの熊本城のどこに“再利用”されていたとみられるのか。鶴嶋さんは「おそらく天守ではなく、周囲の櫓[やぐら]や塀ではないか」と話す。ポイントはその形だ。「熊本城の天守では滴水[てきすい]瓦という独特なデザインの軒瓦を使っている。これはほかの櫓などには使わない特別なもの。滴水瓦に混じって、大きさも形も違う天正十八年の瓦を使うはずがない」

 大天守の石垣から出土したことについては、「天守の石垣は明治22年の地震で大部分が積みなおされている。そこでほかの土砂と一緒に紛れ込んだのかもしれない」と推測している。(飛松佐和子)

(2018年5月18日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

あなたにおすすめ

以下の「同意する」ボタンを押すことで、またはこのままサービスの利用を続けることで、当社が別途「プライバシーポリシー」に定める「アクセスデータ」を取得し、利用することを含む「nor.利用規約」に同意することになります。お客様は、プライバシーポリシー記載の所定の手続きにより、アクセスデータを管理できます。