「天国でもステージにいるはず」 “長崎のヒデキ”響ローラさん 「大切に歌い続ける」

 1970~80年代に活躍した歌手、西城秀樹さんが16日、急性心不全のため63歳で亡くなり、長崎県内でも往年のファンらに悲しみが広がっている。“長崎のヒデキ”として西城さんのヒット曲をステージで歌う長崎市在住のタレント、響ローラ(53)=本名・立石昌明=さんもその一人。西城さんとの出会いや惜別の思いを聞いた。
 響さんは東京出身。小学生の頃、テレビ番組で西城さんを見て「ワイルドな歌唱スタイルにしびれた」。その憧れから14歳で歌手の全国新人オーディションに出場した。見事優勝し、ゲスト審査員だった西城さんと一緒に「傷だらけのローラ」を熱唱。「夢を見ているようだった」と振り返る。
 81年に17歳でアイドルデビュー。西城さんは雲の上の存在だったが、再会すると新人の響さんにも優しく謙虚に接してくれた。その誠実な人柄にも尊敬の念を抱いた。
 響さんはやがてアイドルとしての活動に違和感を抱き、24歳で芸能界をいったん去ったが、西城さんを慕う気持ちは変わらなかった。あるとき、ぴったりとした衣装を着て茶髪をなびかせてみると、黄金期の西城さんのシルエットと重なった。声質も似ている。「西城さんを目標にして生きていこう」。そう決めた。
 90年、長崎に移住後、「傷だらけのローラ」をヒントにした芸名で芸能活動を再開。以来約28年間、イベントや、自身が経営するショーレストランで「情熱の嵐」「激しい恋」など西城さんの約50曲をレパートリーとして歌い、パワフルなステージを披露している。
 「脳梗塞を患ってもリハビリを頑張っていた。いつか完全復活して元気な姿を見たいと願っていた」。響さんは自身が歩んだ再挑戦の人生も重ね合わせ、しみじみ。「亡くなったと思いたくないが、天国でもステージに立っているはず。自分も、これまで以上に西城さんの歌を大切に歌い続けていきたい」

西城秀樹さんのサイン入りレコードジャケットを手に、思い出を振り返る響さん=長崎県長崎市寄合町、ローラパラダイス

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