海街のら猫ドライブ 

 

 

5月の若葉の頃

 5月、若葉揺らす薫風の頃。

 梅雨入りした沖縄から友人が東京にやってきた。

 仕事の合間の貴重な休日を共に過ごすことに。

 今時分の東京は梅雨入り前の最高に心地よい若葉の頃。

 

 5月にしかできないこと。

 そうだ、風薫る海街へ行こう。

 車で、第三京浜から横浜新道、横浜横須賀道路を走ること小一時間。

 釜利谷(かまりや)ジャンクションを抜け、トンネルを三つくぐる。

 さらに六浦(むつうら)トンネルを抜けると、いきなり広がる山間の風景。

 梅雨入り前の5月の若葉の新緑が目に飛び込んでくる。

 

 高速道路を降りて市道・坂本芦名線へ。

 この道がそう呼ばれることを今回初めて知った。

 大楠山麓付近の三浦半島を横断する、曲りくねったこの山道を、わたしは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」と呼んでいた。この山道からの緑の風景はドライブならではの醍醐味。

 

 「いろんな新緑のグラデーションがモコモコしていて本当に綺麗だねえ」。助手席で友人がつぶやく。

 確かに、沖縄では目にしない色かもしれない。

 陽射しの強い沖縄は亜熱帯植物の宝庫。

  わたしはそれらが作る葉陰を眺めて過ごす島の時間が好きだが、沖縄の友人からしたら、こちらの植物の新緑は珍しいようだ。

 だけど、この山道の雰囲気は沖縄のどこかに似ているとも言える。

 「ちょっと沖縄の本部(もとぶ)っぽいかもしれないね」

 「わかる? そう、私もちょっと本部っぽいって思った〜」

 

 冗談を言い合い笑っていると、134号線に出る。

 大楠小学校へ向かうと小さな文具店が見えてくる。

 そこで、5月にしかできない「アーティチョークを買うこと」をやってみる。

 

5月に最盛期を迎えるアーティチョーク

 毎年楽しみにしているアーティチョーク(別名:朝鮮アザミ)。

 沖縄の友人は「これ食べられるの?」と驚いていた。

 予約を入れておいたので、たくさん手に入れることができて満足。

 5月のほんの少しの時期しか収穫がないので、本当にラッキー。

 

 どんよりとねずみ色の雲が降りてきそうな気配。

 予報では昼から雨天だが、まだ雨の匂いはしない。

 車を佐島(さじま)漁港へ。

 佐島の海は晴れていると海中にいる魚たちが見える。

 そのくらい透明度が高い。

 沖縄の海もそうだが、海の中を泳ぐ魚を眺めるのは楽しいし癒されるし、

 食いしん坊のわたしなどは食欲をも湧いてくる。

  

 近隣にはうまい魚料理を食べさせてくれる食堂があったり、天神島へ渡ると先の方には佐島マリーナもある。

 

晴れた日は透明度も高い佐島漁港

 

 天神島とはいうが、橋で繋がっているので、自由に行き来ができる。

 瀟洒な別荘の並びに「天神島臨海自然教育園」もある。

 晴れた日には富士山も臨める風光明媚な土地だ。

 さらに先には佐島マリーナ。ここは1965年に森繁久彌氏が中心となって立てた民間マリーナで、逗子、葉山、シーボニアなどのマリーナの中でもどこか穏やかでひっそりとした感じの佇まいがちょっと気に入っている。

 松任谷正隆・由実(ユーミン)夫妻が新婚時代に長期滞在したというマリーナだが、海は穏やかだし、良い地形に恵まれている場所だ。

 

 さて、海街を巡る我々は134号線を鎌倉方面へ車をのらのら走らせる。

   晴れていたら水平線向こうに富士山を望む立石公園を過ぎ、プリンで有名な「マーロウ秋谷本店」、ほどなく左手にミシュラン星「江戸前天婦羅 葉むら」を過ぎると、あのマイケル・ジャクソンもやってきた「葉山ホテル音羽の森別邸」、長者ヶ崎を越えて、葉山御用邸を通過。本来ならばこのまま134号を右折だが、海街を巡る我々は207号線へ。葉山しおさい公園、県立美術館を抜け、森戸海岸、葉山マリーナへ。

立石からの富士山

 

 海街風情ある小径をするりと抜けてゆくと、日影茶屋を過ぎたあたりで、大杉栄の話でなぜか車中盛り上がる。

 アナーキストとしての顔以外の大杉栄は、この茶屋で女に刺されてしまう自由恋愛論者であり、ファーブルの昆虫記(第1巻のみ)の訳者でもあった。

 

 ある小説家が持っていたその古い本『昆虫記』(叢文閣版)を思い出す。

 第2巻以降は虐殺された大杉栄の志を継ぎ、プロヴァンスで農業をしたり、ドイツ占領下のパリでレジスタンス支援もしていた椎名其二氏によって翻訳された。 

 

 あの頃の社会主義者は、人間社会だけではなく自然界にも強い憧れを持ったのだ。無神論、唯物論の根幹だからだろうか。

 それにしても大杉栄、椎名其二然り、「昆虫記」を訳すひとは皆アナーキストという共通点があるのはなぜだろうか。

 

大杉栄訳の昆虫記 誰かが大事に隠し持っていたんだろうか

 そんなこんなで、逗子、小坪を通り抜け、材木座近づくにつれ海岸線が緩やかに広がり鎌倉市内へ入る。

 この先、由比ヶ浜、稲村ガ崎を越えると七里ガ浜、腰越漁港と134号線の海街ドライブはのらのら続く。

 流行りのしらすトースト、しらす丼、海街的な食の誘惑はあれど、脇目も振らず、目指すは浄妙寺・喜泉庵。

 

 浄妙寺は鎌倉五山(臨済宗の禅寺)の五番目の禅寺。

 婦人病にもご利益があるともいわれる歴史共に由緒ある寺で、ここには枯山水の庭を眺めながらお抹茶がいただける茶室があり、運が良ければ愛嬌のある猫にも出会えるという、お茶と猫好きにはたまらないおすすめポイント。

 長い竹筒から聞く珍しい水琴窟の神秘的な音も楽しめる。

 

 低い雲間から大粒の雨がしとしと降ってきてしまったものの、雨もまた絵になる鎌倉。ここでしばし薄茶と上生菓子で一服。

 開放的な茶室には四角い窓と丸い窓があり、四角は“迷い”、丸は“悟り”を表す窓だそうだ。

 わたしは丸い窓の向こうに未来をみる。

 新緑の若葉に初々しい未来の心を臨くのだ。

  

 雨に濡れた枯山水の庭を縁側から眺め、雨だれの音に耳を傾ける。

 しどけなく濡れる芍薬の花びらが艶かしい。

 

 鎌倉にはこうして薄茶をいただける寺がけっこうある。

 あじさい寺と呼ばれる明月院や竹の寺と呼ばれる報国寺など、どれも趣あるがここ喜泉庵はいつ行っても静かなのが気に入っている。鎌倉の『美鈴』の上品な季節の上生菓子とお薄をいただきながら、ぼんやりするのが好きだ。

 

  雨に濡れた参道を力車が通る。

 着物姿のお嬢さんを乗せてゆっくり角を曲がっている。

 目を細めて眺めていると、そこにマズルをぷっくりさせた眼光鋭いのら猫がこっちを睨んでいる。

 

 切り抜くと実に絵になる情景にたくさん出会う雨の鎌倉を堪能。

  

雨に濡れた鎌倉の情景

 身体も冷えてきたので八幡宮の参道まで戻り、温かい蕎麦を啜る。

 鎌倉銘菓の豊島屋「鳩サブレー」、そして最近お気に入りの鎌倉紅谷「クルミッ子」をお土産に。

 

 我が家で今超人気おやつの「クルミッ子」。

 自家製キャラメルにくるみを封じ込めバター生地で挟んで焼いたヌガーのような食感の焼き菓子。お茶菓子にはもちろん、ワインなどにも合う超人気だそう。沖縄の友人も「クルミッ子」のその魅力の虜になっていたひとりだった。

 

超人気クルミッ子

 

 「クルミッ子」も買ったし、農連市場にあるパラダイスアレイの天然酵母パンも食べて、お腹もいっぱい。雨に濡れた石畳の参道を歩いていると、唐突に友人が大声で切り出した。

  「満足!!!」

  冷たい雨降る鎌倉で、その溌剌とした大きな声と燦々と光そそぐ南の島の太陽のようなエネルギー満ち溢れる彼女の横顔に、元気を貰う。

 

 海街で5月にしかできないことを南の島の友人と共にできたことは一生忘れられない思い出となった。

 

 今、まさにこれを書いている時、その海街を舞台に映画を撮った日本人監督がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞という知らせが飛び込んできた。

 5月のカンヌの風に乗ってやってきた知らせを機に『海街Diary』を再見。

 青い梅の樹やバケツいっぱいのしらす漁、画面に映る海街の感触をふと、先日行ったばかりの海街・鎌倉の足跡に重ねてみる。

 

海街としらす漁

  5月にしかできないこと。

 新緑の光線に包まれているのも束の間、もうじき、五月雨(さみだれ)の6月。

 風薫る5月の空を、瞳いっぱい、このからだいっぱいに封じ込めるのだ。

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