62年前の九十九島遊覧船アナウンス収録 音浴博物館でレコード発見 元ガイド田中さん、当時懐かしむ

 西海国立公園の誕生から1年後の1956年に吹き込まれた、九十九島遊覧船のレコードが音浴博物館=長崎県西海市大瀬戸町=で見つかった。声の主は元ガイドの田中(旧姓・寺田)美代子さん(83)=佐世保市黒髪町=。約60年前の自らのアナウンスに耳を傾けた田中さんは、当時を懐かしむように聞き入った。
 「ただ今から、新しい海の国立公園となりました九十九島の島めぐりにみなさま方をご案内申し上げます-。」
 当時の鹿子前桟橋に響くドラの音と汽笛の後、田中さんのアナウンスが始まる。
 レコードは、音浴博物館に5月に寄贈された故人のコレクションの中に含まれていた。タイトルは「西海国立公園 夢の九十九島」。テイチク(現・テイチクエンタテインメント)が製作した。同社には56年8月に音声を吹き込んだ記録が残るだけ。佐世保市観光課にも資料や現物はないという。
 レコードはSP盤で、鹿子前桟橋を発着点に松浦島、丈ケ島を巡って紹介するアナウンスを両面合わせて7分ほど収録。ピクチャー仕様でA面には牽牛(けんぎゅう)崎、B面には船越展望所付近からの九十九島の眺めがあしらわれている。歌謡史研究家の宮川密義さん(84)=西彼時津町=は「SP盤のピクチャーレコードは大変珍しい」と話す。
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 「みなさま。左手に見えます平たい島は九十九島の中での最大の島で、2300名の人々が住んでおりますキリストの島、黒島であります-。」
 田中さんは高校を卒業後、54年佐世保市に採用された。配属先は観光課だったが、任務は九十九島の遊覧船ガイド。61年に退職するまで勤めた。「引っ込み思案だったので恥ずかしくて。上司の原稿をもとにアナウンスしていました」
 レコードを吹き込んだころは「西海」(76人乗り)「第二西海」(125人乗り)が約1時間のコースを午前と午後に運航。木造船のため、冬期は運休していた。黒島を紹介する際には、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産となった平戸・中江ノ島での処刑にも触れている。
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 「今のパールシーと比べ、当時の鹿子前桟橋はのんびりとしていました。休み時間に他社のガイドとおしゃべりしたり、夏は仕事が終わった後、海水浴場に夕日を見に行ったり」と田中さん。田中さんも同じレコードを保管していたことが取材で分かった。
 元市交通局次長の朝永清之さん(81)=佐世保市黒髪町=は「国立公園の宣伝や、記念品として作られたのではないか。佐世保が“観光都市”として立ち上がった当時を振り返る貴重な資料だ」と話している。

62年前に吹き込んだレコード「西海国立公園 夢の九十九島」を手にする田中美代子さん=長崎県佐世保市黒髪町
九十九島遊覧船「西海」の進水式を伝える記事=1952年8月12日、佐世保時事新聞

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