日大選手に心からのエールを ダークペダゴジーからの脱出

By 佐々木央

記者会見する日本大の宮川泰介選手=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ

 これは典型的な「ダークペダゴジー」ではないか。アメリカンフットボールの日本大と関西学院大の定期戦で、悪質な反則行為をしたとされる日大選手の記者会見を見て、そう思った。ここで「したとされる」と書く理由は後で述べる。

 ペダゴジーは「教育」や「教育学」のこと。そこにダークが付くから「闇の教育」といった意味だ。もともとはドイツの評論家の造語で、ドイツ語を直訳すれば「黒い教育」となる。

 「ダークペダゴジー」として紹介している教育社会学者の山本宏樹さんによれば「暴力・服従・うそ・賞罰・欲求充足の禁止・条件付き愛情・操作・監視・屈辱などを用いたしつけ、教育」を指す。

 日大側は「指示」を認めていないが、選手の陳述書の説明によれば、事態は次のような経過をたどった。

 まず監督やコーチから「やる気が足りない。闘志が足りない」と責められるようになる。説明のない評価・叱責は言葉による「暴力」である。

 全体のハドル(作戦会議)で監督から「宮川なんかはやる気があるのかないのか分からないので、そういうやつは試合に出さない。やめていい」。コーチからは「おまえが変わらない限り、練習にも試合にも出さない」と言われる。他の部員のいるところで指摘するのは「屈辱」を与える行為でもある。

 次に実戦形式の練習でのプレーが悪かったとして練習から外す。実戦練習の機会が減れば技量の低下は免れない。選手は「罰された」と感じ、心理的に大きなダメージを受けただろう。

 さらに監督から世界大学選手権代表を辞退するように言われる。けがをしたわけではない。自分としては精いっぱいやっている。理不尽と思える「罰」、世界戦に出たいという「欲求」充足の禁止は、彼の心に恐慌を引き起こしたに違いない。

 この日、下級生に練習の手本を示す役目を与えれる。その手順にコーチがクレームを付け、グラウンド10周の罰走を命じられた。明らかな「体罰」が多くの部員の前で科され、自尊心も傷つけられたはずだ。

 この段階で既に、彼に対する「支配」は完了している。監督・コーチの歓心を買うためにはどうしたらいいのか。彼らの評価を変えてもらい、練習に参加し、試合に出場し、世界選手権に行くことを許されるにはどうしたらいいのか。

 そしてコーチを通じ、監督の条件を聞く。「相手のクオーターバック(QB)を1プレー目でつぶせば出してやる」。コーチからはさらに「相手のQBがけがをして秋の試合に出られなかったらこっちの得だろう」と念を押される。本当にけがをさせないといけないのだと追い詰める。これは「条件付き愛情」に当てはまるかもしれない。

 試合前のメンバー表に初め、彼の名前を載せなかったのは、実行に踏み切らせるための「最後の一押し」になっただろう。こうして見ると、ダークペダゴジーによって、実に短期間に、彼を決定的に支配したことに驚く。その心理操作は周到ささえ感じさせる。

 被害者から警察に被害届が出されている。今後、刑事事件としての評価も問題になってくる。彼が心理的に操作され、回避・抵抗する道がほとんどなかったことを重く見るべきだ。

 そのように見ると、指導者の責任は「教唆」とか「共謀共同正犯」にとどまらない。選手を道具的に使った「間接正犯」とするべきか検討し、実行犯であっても選手の責任を極小化する方向で考えねばならない。

 彼は陳述書の最後でこう述べる。

 たとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身が「やらない」という判断をできずに、指示に従って反則行為をしてしまったことが原因であり、その結果、相手選手に卑劣な行為でけがを負わせてしまったことについて、退場になった後から今まで、思い悩み、反省してきました。そして、事実を明らかにすることが、償いの第一歩だと決意して、この陳述書を書きました。

 「事実を明らかにすることが、償いの第一歩」という言葉は尊い。監督・コーチの判断ではなく、大学や被害者の要請によってでもなく、自らの考えで記者会見に臨み、自らの言葉で事実と思いを語った。彼はダークペダゴジーを脱した。それは生き直しの第一歩でもあろう。心からエールを送りたい。 (47ニュース編集部、共同通信編集委員・佐々木央)

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