イニエスタも続くか!「欧州経由」でJリーグにやってきたW杯優勝経験者たち

ヴィッセル神戸への加入が近付いていると報じられるアンドレス・イニエスタ。

仮に移籍が実現すれば、ワールドカップ優勝を経験した選手が日本にやって来ることとなる。

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ワールドカップで優勝した経験を持つ選手はこれまでにも20人弱がJリーグでプレーしているが、ヨーロッパのチームから日本にやって来た選手はそこまで多くない。

今回は、欧州経由でJリーグ入りを果たした世界王者たちをご紹介!

1. ルーカス・ポドルスキ

生年月日:1985/06/04 (32歳)
国籍:ドイツ / ポーランド
ポジション:FW
ワールドカップ優勝:2014年(ドイツ代表)
プレーしたJクラブ:ヴィッセル神戸(2017年 - )

昨年Jリーグ入りしたレフティモンスターは、ワールドカップ3大会に出場している。

21歳で参戦した2006年大会では、メッシとロナウドを抑えて「Best Young Player」賞を受賞。そして、2014年には優勝を果たした。

2016年に引退したドイツ代表で130試合49ゴールを記録。これはどちらも同国史上歴代3位となる偉大な数字だ。

選出者:編集部I

2. ピエール・リトバルスキ

生年月日:1960/04/16 (58歳)
国籍:ドイツ
ポジション:MF
ワールドカップ優勝:1990年(西ドイツ代表)
プレーしたJクラブ:ジェフユナイテッド市原(1994-1994年)

質実剛健で知られた西ドイツで育った異色の天才ドリブラーは、ケルンから1993年にジェフユナイテッド市原(当時)に加入。その年のJリーグでは唯一のW杯優勝経験者だった。

その後一度引退するも、ブランメル仙台(元・ベガルタ仙台)でプレー。

指導者転身後もシドニーFCでカズをゲストとして受け入れたり、アビスパ福岡の監督を務めるなど、日本への貢献は数多い。

選出者:編集部K

3. ウーヴェ・バイン

生年月日:1960/09/26 (57歳)
国籍:ドイツ
ポジション:MF
ワールドカップ優勝:1990年(西ドイツ代表)
プレーしたJクラブ:浦和レッズ(1994-1997年)

1980~90年代にかけてケルン、ハンブルガー、フランクフルトで活躍した司令塔。

1990年ワールドカップ・イタリア大会で西ドイツ代表のメンバーに選出され、4試合1得点を記録して優勝メンバーとなった。

その後、東西統一によって再編されたチームには居場所を見つけられなかったが、94年、ギド・ブッフバルトと共に浦和レッズに加入し日本へ。95年に18得点を記録するなど、当時、“J最弱”といえる存在であったクラブを上位に押し上げている。

選出者:編集部H

4. ダニエレ・マッサーロ

生年月日:1961/05/23 (56歳)
国籍:イタリア
ポジション:FW
ワールドカップ優勝:1982年(イタリア代表)
プレーしたJクラブ:清水エスパルス(1994-1995年)

創成期のJリーグを彩ったイタリアの“伊達男”、ダニエレ・マッサーロ。

1989年から1995年にかけてミランで活躍し、イタリア代表として2度のワールドカップに出場。1994年大会の印象が強いが実は1982年のスペイン大会にも出場しており、試合には出なかったものの21歳で世界制覇を経験している。

そんなストライカーがミランから清水エスパルスへやってきたのは1995年夏のこと。

公式戦で25試合に出場、11ゴールという成績だったが、持ち前の得点感覚とシュート技術で“違い”を見せてくれた。

選出者:編集部O

5. ギド・ブッフヴァルト

生年月日:1961/01/24 (57歳)
国籍:ドイツ
ポジション:DF
ワールドカップ優勝:1990年(西ドイツ代表)
プレーしたJクラブ:浦和レッズ(1994-1997年)

浦和レッズとの“蜜月”な関係から、日本でも知名度の高い元西ドイツ代表DF。

基本に忠実でソリッドな守備に加え、周囲をまとめ上げるキャプテンシーと統率力は高評価を受け、バインやリトバルスキらとともに1990年のワールドカップでは西ドイツ代表を優勝に導いた。

1994年、シュトゥットガルトから浦和レッズに加入すると、Jリーグのベストイレブンに二度輝くなどやはり活躍。退団セレモニーでは白馬に乗った演出も話題になった。

指導者としても浦和を率いており、Jリーグや天皇杯のタイトルをチームにもたらしている。

選出者:編集部S

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