23歳で「寝たきりになる」と言われて 「生きる、を見つめる(前編)」 U30のコンパス+

高橋菜美子さん

 突然、原因も治療法も分からない病気だと告げられたら―。社会人2年目を迎えた23歳の春、自分の体と今後の人生に向き合うことを余儀なくされた女性。「どうやって生きていけばいいのか」。そこから模索し続けた4年間。ロンドンで見た光景、理想との出会い、デンマークへの留学…。経験を積む中から自らの答えを見つけ、今を生きる姿を届ける。

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「若い娘さんには酷かもしれませんが、おそらく寝たきりになります」
 医師の言葉がいつまでも耳を離れない。高橋菜美子(たかはし・なみこ)(27)は、東京で社会人2年目を迎えたばかり。2014年、23歳だった。

配属先の辞令書を手にする高橋さん

 その半年ほど前から、パソコンのキーボードがうまく打てないことが増えていた。歩く速度が落ち、段差のない場所でつまずく。立ち上がろうと腰を上げると視界がゆがむ。「疲れかな」。このときは、それ以上深く考えなかった。

 病気が分かったきっかけは、実家のある山形市に帰省中、受診した病院の医師の一言だった。
 「君、脚がちょっと細すぎる」

 精密検査の結果、ひざから下の筋肉がほぼなかった。診断は「体から徐々に筋肉がなくなる病気だろう」。ただ、これまでに世界で見つかった症例のどれにも当てはまらず、原因や病名が特定できない。進行の速さも治療法も分からないと告げられた。

 退職を決め、東京を離れた。「仕事も道半ば。いろいろな世界を東京でまだ見たかった」。後ろ髪を引かれる思いのまま実家で暮らし始め、何もしない時間が増えた。

 「どうして真剣に人生と向き合ってこなかったんだろう」

 これまで全力で生きてきたつもりだった。けれど、「そのうち」とやり残したこと、「いつか」と挑戦しなかったことが頭に浮かぶ。未来の自分の姿が想像できない。恐怖と不安に押しつぶされそうになった。

 「このままではだめだ」。気持ちを切り替えたい一心で、2か月間、ロンドンにいる姉のもとに身を寄せた。通った語学学校で出会ったのは、様々な人種や民族の人々。互いの違いを受け入れているように見えた。「みんな違っていていいんだ。病気も私の特徴の一つ」。そう考えると、少し心が軽くなった。

ロンドン滞在中の高橋さん(手前)

 ある日街を歩いていると、レンガ造りの古い建物の入り口に車いすの絵のステッカーを見つけた。気になって調べた。それは障害者を含め誰もが出入りしやすいバリアフリー仕様だと示すマークで、周りの築数百年以上の建物にも貼られていた。

 ふと、海外の福祉制度に興味がわいてきた。「これからの生き方のヒントがあるんじゃないか」。インターネットで情報を探し始めた。そして、ある若い日本人女性の記事から目が離せなくなった。

 女性は、心臓から遠くにある手足の先から筋力が徐々に低下する難病「遠位型ミオパチー」だった。20代で判明し、結婚や出産を経験。各地で講演活動をしていた。

 徐々に動きづらくなっていく体で、誰かと人生を共にする。当事者として社会に発信する。想像したこともなかった。けれど、実現させた人がいる。驚き、その姿に憧れた。「私も、こういう風に生きていきたい」

 その女性は、デンマークへの留学経験があった。障害者らが差別されることなく、地域で共に普通の生活を送ることを当然とする考え方「ノーマライゼーション」発祥の地。「デンマークに行ったら、私も変われるかもしれない」。留学を決意しロンドンから帰国、準備を進めた。

 その間、障害者手帳を山形市役所で受け取った。1年前まで自分が持つとは考えてもいなかった。「これからは肌身離さず持ち歩くんだ」。手に持つ薄い手帳が、重く感じられた。

 留学のための面接試験を控えた16年2月、女性が登壇するイベントに参加した。講演後、こちらから声を掛け留学のことを話した。「がんばって。きっと大丈夫だから」
 

 数日後、合格を知らせるはがきが届いた。女性の声がよみがえった。「留学ができるんだ」
 そこには、病気が分かってから初めて、1年後の未来を前向きに想像している自分がいた。(中編に続く、敬称略、共同=大友麻緒27歳)

高橋菜美子さんの留学日記はこちらから↓

https://plus-handicap.com/2016/11/8013/

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