留学を経験、たどり着いた生き方とは  「生きる、を見つめる(後編)」 U30のコンパス+

東京でのイベントで話す高橋さん

 3月上旬、東京で開催されたトークイベントに、高橋菜美子(27)は登壇した。集まった約50人を前に、自分の病気やデンマーク留学での体験を話した。

 学校の寮の食堂で皿を落とした子に、非難ではなくあえて拍手を送る光景の温かさ。脳性まひの子が、自分の障害をジョークにして笑わせた姿への驚き。帰国直前に先生がくれた「運命を変えたければ、社会を変えること」という言葉。

デンマーク留学中、体育の授業のひとこま

 人前で話すのは初めて。緊張で喉が渇いたが、約2時間、話しきった。講演後、参加者に囲まれた。多くがインターネットで公開してきた留学記の読者。笑顔で、自分の言葉に何度もうなずいていた。「考えが伝わったのかな」。仲間に出会えたようで、うれしかった。

東京でのイベントで話す高橋さん

 「デンマークに行く前の彼女は、『障害者』という言葉をネガティブに受け止め、とらわれている感じだった」

 留学前から交流があり、イベントを主催したウェブマガジン「プラス・ハンディキャップ」編集長の佐々木一成(ささき・かずなり)(32)は、変化を振り返った。「留学を経て『障害者だから』という枠にとらわれなくなった。良い意味で、気にしなくなった」

 帰国後は、実家から仙台市にある会社に週4日通って、働き始めた。その傍ら、ライターの活動を本格的に始めた。

 病気が分かってから、障害のある人が書いた本を何冊も読んだ。自ら人生を切り開いていく様子や病気の知識など、本からたくさんの情報をもらった。「体が動かなくなっても、文章を書くことで自分が今ここに生きていると伝えられるんだ」

 予想より大きかった留学記への反応も、気持ちを後押しした。「いろんな人が混ざり合って共に生きている社会が理想。その実現のために、自分の経験や言葉が誰かの力になればうれしい」

 現在は、東京にある国の医療機関で診察を受けている。太ももの途中まで筋肉はなくなった。右半身の進行が速いため、歩くと右足をひきずってしまう。寝ても疲れが取れず、手足や顔がけいれんすることもある。原因も病名も、まだ、分からない。

 デンマークに留学しても変わらなかったことが一つある。いろいろな障害のある人を目にしたら、自分の病気も怖くなくなると思っていた。「やっぱり、動いていたものが動かなくなる先って未知。怖い気持ちは変わらなかった」

 けれど、前よりも自分の病気に悩んだり、「障害があるから」と自分を特別視したりすることはなくなった。「動かなくなるものは、動かない。仕方ない」。どしんと構えられるようになった。

 「どうして真剣に人生と向き合ってこなかったのだろう」。病気の診断を受けた時、頭にいろんなことが浮かんだ。1年後、3年後、もっと先の未来の姿は、はっきりとは見えない。だからこそ、思う。「今に向き合って、今をどう生きるかが大事なんじゃないか」(敬称略、共同=大友麻緒27歳)

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取材を終えて

  高橋菜美子さんと私は山形県出身。東京での大学4年間を同じ寮で過ごした同期だ。彼女の病気を知ったのは記者2年目、熊本に赴任して少したった頃だった。

 「これから暮らしていく山形を好きになりたい」。関心のあるアートを切り口にして地域のイベントに積極的に関わった。デンマーク留学を決め、インターネット上に連載を始めた。空港へ向かう姿を東京駅のホームで見送ったのは約2年半前。大学時代から変わらない、前へ前へと進んでいく行動力。私はただ「すごいな」と圧倒されてきた。

 突然病気が判明し、考えたことのなかった人生に直面した心境は、私の想像を絶する。けれど、高橋さんは会うたびに笑顔を絶やさず、エネルギーに満ちていた。正面から自分に向き合い、さまざまな経験を重ねた言葉には生きる力強さがにじんでいた。話を聞くと私の方が何度も気付かされ、励まされた。それが、彼女を書きたいと考えた原点だった。

 「なぜ、もっと自分の人生に真剣に向き合ってこなかったのか」。同い年の彼女が抱いた言葉。取材を通じて、自分にも今、問いかけられているように感じている。

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