【特集】上映不可 あの名優のカンヌグランプリ作品 異色の「抗日映画」に思う

カンヌ国際映画祭で、作品について会見する姜文監督(左)と香川照之さん(右)=2000年

 カンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の「万引き家族」が日本作品として21年ぶりに最高賞パルムドールを受賞した。黒沢明監督の「影武者」、今村昌平監督の「楢山節考」「うなぎ」。過去に最高賞となった邦画のタイトルを思い浮かべれば、「さすがに足が震えている」と受賞直後にコメントした是枝監督の緊張ぶりもなるほどと思える。そのカンヌで2000年グランプリ(審査員特別大賞)に輝いた「鬼が来た!」(鬼子来了)という中国映画に俳優香川照之さんが準主役として出演していたことは意外に知られていない。日中の名優たちが共演した「抗日映画」は当時、高い評価を得ながら、中国内では上映が禁じられた。この作品をめぐる話を取り上げたい。(共同通信=柴田友明)

 ▽「ドス黒い記憶」

 「地図のどこにあるのか分からない、北京から10何時間離れた辺境の地で私が暮らしたたった数カ月の体験だけが、実は今日も戦線の一番前にやって来て私を奮い立たせ孤軍奮闘し、私を鼓舞していたのである。…あの半年間のドス黒い記憶はトグロを巻きながらハッキリと姿を現してくる」(中国魅録「鬼が来た!」撮影日記・キネマ旬報社)

 2002年に出版された本の序章に、香川さんは過酷な撮影体験が俳優人生の原点になったとつづっている。舞台は日中戦争末期の中国の貧しい農村。「軍艦マーチ」を演奏しながら村内を巡回する旧日本海軍の軍楽隊のシーンから始まる。占領下の中国のありさまがリアルに描かれているのだろう。香川さん演じる日本兵と通訳の中国人がゲリラに捕らえられ、袋に入れられたまま農民たちに預けられるという奇妙な設定もなぜか不自然に思えない。扱いに困る農民と駐留する日本軍とのコミカルなやりとりが続くが、最後は軍による住民虐殺という悲劇を迎える。

 監督の姜文さん自らが主役の農民を演じた。1980年代の中国映画を代表する「芙蓉鎮」(謝晋監督)や「紅いコーリャン」(張芸謀監督)で主要な役を演じた名優だ。目をそむけたくなる戦争の狂気の中で、人間の弱さ、心理描写のシーンが怖いほどに伝わる。香川さんたちが演じる日本兵の人間くささもそうであるが故に、日本軍が残虐な悪役として「定番」の中国映画では異色の出来栄えとなった。中国政府の検閲に引っかかったのもその点であろう。

 ▽夢をかなえた友人

 映画で香川さんと共演した日本軍の通訳役の袁丁さんという中国人俳優がいる。筆者の学生時代の友人だ。1986年ごろ、東京の日本語学校に通っていた彼と知り合った。中国東北地方出身で、北京の人民大学のエリート学生だったが、テレビや映像関係の仕事に就きたいと来日したのだった。

 都内の彼のアパートで、畳に新聞紙を広げ、肉団子や餃子をつまみによく酒を飲んだ。好みの女性の話から互いの将来の夢まで語り合った。時には日中戦争の時代に話が及び、袁さんがノートを取り出してきて、満州事変以来のできごとを年表のように書き連ねて、筆者に懸命に教えてくれた。当時から中国が歴史教育に相当取り組んできたことはよく分かった。中国がまだ経済大国、軍事大国とも呼ばれていなかったころ、就学生が爆発的に増え、「蛇頭」(スネークヘッド)による密入国者が社会問題化する90年代の前の時代であった。

 映画「鬼が来た!」の最後の出演者一覧では袁さんは主役の姜文さん、準主役の香川照之さんに次いで3番目に登場する。2002年に日本で劇場公開された。映像の世界に行きたいと願っていた旧友が何とカンヌグランプリ作品にメインキャストとして登場している。筆者は不思議な感慨にとらわれた。

 遅ればせながら祝福のエールを伝えたいと思ったが、そのころはすでに連絡先が分からない。かつて通っていた日本語学校も「音信不通」、彼と親しかった東京新聞の中国特派員、佐々木理臣さん(故人)に尋ねたが、「実はおれも分からない」。よもや中国での上映禁止の影響で何らかの迫害を受けたのかと心配したが、そうではないようだ。筆者の知人たちが知らない世界で過ごしているのだろうか。

 あれから16年。カンヌ国際映画祭の結果が日本で時々話題になると、あの映画「鬼が来た!」で日中の名優たちと“競演”した袁さんのことを思い出すのだった。

中国が国内で上映を認めなかった映画「鬼が来た!」の1シーンとカンヌ国際映画祭の会場
第71回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞し、トロフィーを手に取材応じる是枝裕和監督=2018年5月19日、フランス・カンヌ(共同)

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