もう一度やりたかった「野球」― “小さな守護神”武田久の今

今季から日本通運野球部に復帰した武田久【写真:荒川祐史】

日本ハム一筋で通算534試合に登板、武田久の今

 昨年、日本ハムを退団し、今年から古巣である社会人野球の日本通運に選手兼コーチとして復帰した武田久投手。170センチと小柄ながら、15年間のプロ生活では534試合に登板し、167セーブ、107ホールド、3度の最多セーブなど輝かしい成績を残した。そんな39歳はなぜプロの世界を離れ、社会人野球に戻ることを選んだのか。そして、どんなことを選手たちに伝えたいのか――。新たな環境でスタートを切った右腕に話を聞いた。

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 武田は徳島の生光学園高から駒大に進み、2001年に日本通運に入社。社会人を経て、2002年のドラフトで4位指名を受け、日本ハムに入団した。昨年、同球団を退団。今年から日本通運に選手兼コーチとして復帰を果たした。

 右腕は社会人野球に復帰した理由を、優勝に向かってチームが1つになる、プロとは異なる野球をやりたかったからだと話す。

「戦力が整っていて強いものが勝つというのがプロですが、社会人はその時に勝ったものが強い。『チームとして何かやろう』という野球を、もう一度やりたいという気持ちがありました」

 自身にとって、日本ハムに入団する前に2年間在籍した日本通運での経験はとても大きかったと話す。大学までとは異なり、社会人では制球が乱れるとすぐに打たれたため、入社後は徹底的に投げ込み、変化球のコントロールを磨いた。その経験があったから、プロでも成績を残せたと振り返る。また、技術以外の面でも成長してプロに行くことができたという。

選手に伝えたいこと、「会社に貢献していくことは人生としても悪くない」

「お金をもらって野球をやらせてもらうありがたさを感じられたのは、ノンプロだからできたからです。また、一度会社に就職し、将来の安定を捨ててプロに行くというのは、大学からプロに行くのとは違います。プロで生きていく覚悟をもって勝負をかけました」

 そう話す武田。一方で社会人野球には、自身のようにプロ入りをつかむ選手もいれば、プロの舞台にたどり着けない選手もいる。武田はそんな選手たちに対し、社会人で長く野球をやることも悪くないと伝えたいという。

「この世界で長くやることも、野球続けることに変わりはない。プロに入っても、30歳くらいでクビになったら収入面でも将来的には追い越されるし、プロで裏方の仕事に残れても、社会人で働いている40、50歳の人の方が(給与を)もらっている。もちろん、プロを目指して欲しい。でも、社会人で終わることも悪いことではないと伝えたいですね。プロに行けなくても、しっかり会社に貢献していくことは、人生としても悪くないと思います」

 そして、社会人でプレーしている選手たちには、1年でも長く野球を続けて欲しいとの思いがある。

39歳のベテラン右腕が見据える新たな目標

「結果を出さなくてはいけないという緊張感や真剣勝負は現役ではないと味わえない。『辞めます』と言ったら、そこで終わりです。だからこそ、1年でも長く現役にこだわって欲しいですね」

 2月のキャンプでは自ら選手たちに話しかけ、すぐに新しい環境にも慣れたという。そんな右腕は今、昨年惜しくも準優勝に終わった都市対抗野球大会での優勝を目指し、歩みを進めている。

「投手、野手ともに個々のレベルが高い。あとはどれだけチームとして本当の意味で1つになれるか。日本一を狙える戦力は備わっていると思います」

 都市対抗野球大会での自身の登板については「僕が投げなくてもみんな頑張ってくれれば」と、若手の活躍に期待を寄せる。新鮮な毎日を送っているという右腕はその笑顔に充実感を漂わせた。ベテラン右腕はプロを経験したからこそわかる社会人野球の素晴らしさを、これからも周囲に伝えていくつもりだ。

(Full-Count編集部)

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