フェニックスを愛したカリスマ

「お別れ会」でアメリカンフットボール場を模した祭壇に飾られた日大・篠竹幹夫元監督の遺影=2006年9月10日、東京都内のホテル

 大学1年の春。先輩に人材がいなかったこともあり、攻撃の右エンド(RE)のレギュラーポジションを与えられた。 

 4年生の主将、副将と一緒に監督と風呂に入った。監督から突然「歌を歌ってみろ」と言われた。あれこれ考えている時間はない。思いついた曲を大声で歌う。

 腕組みをして湯船につかりじっと聞いていた監督が、カッと目を見開いてこう言った。「お前、暗いな」。翌日から、明るい歌を練習する。 

 春のオープン戦。ダイビングキャッチをした際に肩から落ち、右の鎖骨を折った。合宿所での夕食。監督の隣で、カルシウムの粉末をたっぷりまぶした丼飯を3杯食べ終わるまで、席を立つことを許されなかった。 

 監督が運転する車の助手席に座る。車内でNHK鈴木健二アナウンサー(当時)の講演テープを聞く。ありきたりな感想を述べると怒られた。

 硬軟織り交ぜた「コミュニケーションの達人」。日大アメリカンフットボール部の故篠竹幹夫元監督は、そういう人だった。 

 驚くような達筆で、ロマンチックな詩を書き、自ら曲をつける。シャンソンをロシア語で歌う。

 多面性を持った「鬼監督」は、二十歳前後の学生にとっては理想の男性像を地でいく人だった。心に響く名言は数知れない。すごく怖くて優しい「おやじ」は、憧れの存在だった。 

 「危険タックル問題」で、21度の甲子園ボウル優勝を誇る名門「フェニックス」が存亡の危機に陥っている。そんな中、心あるOBが遅ればせながら立ち上がった。

 カリスマ監督が生涯をかけて愛したチーム、そして何より大事な現役の学生を守るために。 (47NEWS編集部=宍戸博昭)

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