強制不妊で提訴を決意 了解なく手術、後遺症も

旧優生保護法で強制不妊手術を受けた男性。「本人の了解を得ずに手術されたのが悔しい」と語る

 「結婚して、子どもも欲しかった」…。身体に障害があり、子どものときに旧優生保護法下で不妊手術を受けさせられたという県内在住の男性(73)が1日、提訴の意向を固めた。「長い間黙って生きてきたが、同じ境遇の人が闘う姿を見て踏ん切りがついた」と決意した理由を語った。

 関節の軟骨が変形したり、すり減ったりする変形性関節症で、子どものときから思うように体が動かなかった。自分が不妊手術を受けていた事実を知ったのは10代の時。友達と違って陰毛が生えないことを疑問に思い、母親に尋ねると、「優生保護法という法律で睾丸[こうがん]摘出手術を受けた」と打ち明けられた。思春期の真っただ中。将来を悲観し、頭の中が真っ白になったことを覚えている。「本人の了解を得ずに手術されたことが悔しくてたまらない」

 母親の話では、10歳のときに血尿が出て、連れて行かれた病院で、不妊手術を受けさせられたという。手術の記憶はなく、父親は幼い時に他界。母親も十数年前に亡くなり、医師が母親に許可を取ったのかなど、詳しい状況は分からない。

 ひげが生えず、声変わりもしなかった。「男でも女でもなく、どっちつかずと思って生きてきました」と吐露する男性。身体の不自由さや声の高さを他人に指摘されるたびにやり切れない気持ちになり、2度、自殺を考えたこともあった。

 職業訓練校を卒業した後、大工などをして生計を立てた。ところが、30代で歩行が困難になり、仕事を続けられなくなった。「手術によってホルモンバランスが悪くなり、骨粗しょう症が今も進行している。歩いているだけで疲労骨折したこともある」。現在、両股と両肩には人工関節が入っている。

 20代と30代のときには、結婚を考えた女性がいたが、自ら断った。「子どもができないと分かっていたし、女性を不幸にはしたくなかった。人生で最もつらかった」。表情をゆがませながら当時を振り返る。

 今年5月。強制不妊を受けた男女が一斉提訴するというニュースをテレビで見た。「俺と一緒だ」と思い、すぐに県弁護士会に相談の電話をかけ、自分の過去を打ち明けた。

 手術の後遺症や不自由な身体を抱えながら、1人暮らしを続ける。「優生保護法は読んで字のごとく。優秀な人材だけを残して、障害者は子孫を残さないようにさせる。いくら国でもそんな権限はないはず。同じ気持ちで、一緒に闘ってくれる人がいれば心強い。国には悪法を繰り返してほしくない」(文化生活部・西島宏美)

(2018年6月2日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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