放影研長崎 設立70年 原爆の影響 追跡調査 「薬くれず血液取られた」ABCC時代 福島原発事故でも基礎研究

 放射線が人体に与える影響を調べる日米共同研究機関の公益財団法人放射線影響研究所(放影研)長崎研究所は7月、前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)発足から70年となる。1945年の広島、長崎への原爆投下をはじめ、最近では2011年の東京電力福島第1原発事故の影響に関する基礎研究を重ねてきた。一方で「調査すれども治療せず」と批判された過去もある。歩みを振り返る。
 5月下旬、長崎市中川1丁目の放影研長崎研究所内の生物試料センター。男性職員が液体窒素入りの保存タンクから金属製のラックを引き上げ、そのうち一つの引き出しを開けると、中にはいくつもの小さな容器が入っていた。被爆者から長年採取している血液だ。
 ABCCが発足したのは広島、長崎への原爆投下から約1年半後の1947年3月。米国の民間学術団体「米国学士院」が米原子力委員会の支援を受け、広島市の旧広島赤十字病院の一部を借りて開いた。翌48年1月に厚生省国立予防衛生研究所(当時)も参画して日米共同研究の位置付けとなり、同7月、長崎市興善町にあった旧長崎医科大付属病院にも開設した。
 その後、現在に至るまで被爆者の血液や尿を定期的な健康調査を通して採取、死亡率やがん罹患(りかん)率などを追跡調査している。
 だが当初は被爆者の間に「調査すれども治療せず」という不満が強かった。
 長崎市の被爆者、小峰秀孝さん(77)は小学生だった50年代、何度も長崎のABCCで調査を受けた。「男も女もふんどし姿にされた。薬をくれるわけでもなく血液ばかり取られた。何の調査かは知らされなかった」と振り返る。中学からは調査を断るようにしたという。

 調査は当初は軍事目的だったとみられる。やがて平和目的が掲げられ、58年からはがん以外の疾病への影響も調べ始めた。75年4月に放影研の広島研究所と長崎研究所へ名称変更した。
 こうした歴史もあり、放影研の丹羽太貫理事長は昨年の広島研究所設立70周年の記念式典で、被爆者に向けた謝罪と調査協力への感謝を述べ、注目された。
 現在、長崎研究所には成人健康調査を担う臨床研究部と、被爆者と被爆2世のがん罹患率や死亡原因を調べる疫学部などがあり、研究員3人を含む44人(2017年4月現在)の職員がいる。
 一方、本部機能がある広島研究所はがん細胞の遺伝子分析をする分子生物科学部や統計部などがあり、職員は研究員29人を含む162人と長崎より多い。両研究所はすみ分けと連携を図っており、現在、放射性白内障と甲状腺疾患の研究は長崎の研究員が責任者を務めている。
 長年の調査結果は、放射線量と、人体に与えるリスクに関する最も信頼性のある情報として、国連原子放射線影響科学委員会も活用している。
 放影研は「これまでに得た疫学データの解析を今後も継続していく。被爆2世調査で遺伝的影響を解明することも必要だ」としている。

7月に設立から70年となる放影研長崎研究所=長崎市中川1丁目
被爆者から採取した血液を収めたケース。普段は液体窒素入りのタンクで保存している=放影研長崎研究所生物試料センター
ABCC時代の検査風景(放影研提供)

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