無言館の絵

 画家に憧れ、表現を究めたいと志して、美術大学で学ぶ若者たち。絵に懸ける思いは今も昔も変わらないだろう▲しかしそれが残酷にも断ち切られた時代があった。太平洋戦争の戦況が悪化する中、多くの学生が応召し戦地に赴いた。東京芸大の前身、東京美術学校などで学ぶ画学生も例外ではなかった▲召集までの限られた時間、彼らは死を覚悟して絵筆を握り、いとおしむものを描いた。家族、恋人、ふるさとの風景…。彼らが残した絵には、今生きている証しをこの世に描き留めたいという純粋な思いが結晶している▲彼らの中には生きていれば画家として大成した人もいたに違いない。そんな思いを抱えて遺族の元を訪ね歩き、遺作を収集したのが、東京美術学校時代の仲間を戦地で多数失った画家、野見山暁治氏と、長野県上田市で戦没画学生慰霊美術館「無言館」を開いた窪島誠一郎氏▲窪島氏は「これらの絵から、もっと生きたい、もっと描きたいという命の叫びが、まるでコーラスのように重なって聞こえる」という。声なき声が響き渡る空間では、見る側は無言で立ち尽くしてしまう▲その作品144点を集めた展覧会「無言館 祈りの絵」が長崎市の県美術館で開催中だ。戦後73年の時を超え、私たちにかけがえのない生の重みを語りかけてくれる。(泉)

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