豪華絢爛な書院造りを再現 名古屋城本丸御殿の復元工事終わる

 1945年に空襲で焼失するまでは、城郭としての国宝第1号として威容を誇っていた名古屋城本丸御殿。2009年から行われていた復元工事が終わり、6月4日、内覧会が行われた。8日から一般公開される。 (47NEWS 中村彰)

上洛殿上段之間

 御殿は1615年、徳川家康の命によって、当時の一流の職人を呼び集めて建設された、日本を代表する近世書院造り。13棟の建物で構成され、面積は3100平方メートル。室内は山水、花鳥などのふすま絵や、凝った飾り金具などで豪華絢爛に彩られていた。復元は400年前の姿そのままに、木曽ヒノキを使った伝統工法で行われた。工事は3期に分かれ、3期目は上洛殿、湯殿書院、黒木書院などが建てられた。

雪中梅竹鳥図

 上洛殿は1634年、三代将軍家光の上洛に合わせて建築された。室内はふすま絵、天井板絵、彫刻欄間でびっしり。ふすま絵は狩野派の手になるもので、中でも狩野探幽が描いた「帝鑑図」「雪中梅竹鳥図」は圧巻だ。彫刻欄間はどうすればこんな複雑な絵柄を彫り上げられるのか不思議なほど手が込み、鳥や花々、草木が立体的に浮かび上がる。

彫刻欄間

 湯殿書院は今の風呂場で、将軍がくつろいだ空間。サウナ式の蒸し風呂が再現されている。清須城から移築されたとされる黒木書院は落ち着いた雰囲気。色味を抑えた「山水図」などに囲まれ、ほっと一息つけるような空間だ。

 今回の復元は、元の建物に極めて忠実に行われている。なぜそんなことができるかというと、戦前の調査による実測図309枚や、ガラス乾板写真約700枚が残存し参照することができたためだ。

本丸御殿と天守閣

 ふすま絵や天井板絵は全1049面。戦時中に取り外し疎開していたため、奇跡的に現存している。現物は年を経て色が変化したものが多いが、今回は建物を一から建てるため、それに合わせて技法や素材を分析、目にも鮮やかな復元模写を行った。

 江戸時代の空間や光線の具合を再現するため、あえて照明を控えている。そのため、淡い光の中に浮かぶふすま絵の色合いは優しく、金箔(きんぱく)は妖しい光を放つ。総工費は150億円。

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