花を植えるとするならば

 詩人の工藤直子さんに「花」という一編がある。〈わたしは/わたしの人生から/出ていくことはできない/ならば ここに/花を植えよう〉▲どんなに苦しくても、人はたやすく、思うままに自分の人生を放棄することはできない。むごい目に遭って命を落とした女の子、結愛(ゆあ)ちゃんは5歳にして、否応(いやおう)なく覚悟させられたらしい。何とか生きようとした▲都内で衰弱した娘を放置し、死なせたとして両親が逮捕された。死亡が確認されたとき、その子の顔や体には殴られた跡があった。ろくにご飯も与えられず、やせ細っていたという▲自分ではどうにもできず、女の子はひたすら許しを請うた。手書きのメモがある。〈じぶんからきょうよりかあしたはもっとできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします〉…。こんなにも胸を刺す、悲痛な「ゆるして」を他に知らない▲もしも結愛ちゃんが人生という畑に植え育てたとしたら何の花だろう。時節柄、アジサイがふと浮かび、かれんな花が寄り集まっていることから「家族のつながり」の花言葉があるのを思い出す▲もしも健やかに育てられたら、「ゆるして」ではない、親に「ありがとう」とアジサイを贈る日も来たろうに。と、「もしも」を重ねても詮無いとは知りながら。(徹)

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