「スイス戦で見えた、日本代表に投げ掛けたい5つの問題点」

ワールドカップ初戦となるコロンビア戦まで残すところ10日。

日本代表は、イタリアのルガーノでスイス代表との強化試合を行い、0-2で敗れた。

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本来、この時期の親善試合に結果を求めるべきではないかもしれないが、直近4試合で勝ちがなく、西野朗体制になってからは未だノーゴールのチームである。

「少し期待を抱かせてくれるようなゴールシーンぐらいは見たかった…」というのが多くのサッカーファンの率直な感想ではないだろうか。

上述の西野は試合後「アタッキングサードまでは運べている。後は決定力」、「危機感は感じていない」と振り返り、今回の惨状の「A級戦犯」とも称すべき田嶋幸三会長もハーフタイム中にテレビ中継に登場して、「西野監督のやろうとしているサッカーが見えてきている」と語った。

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これらの発言が心底からそう思ってのものなのか、チーム内の雰囲気やマスコミに考慮してのものなのか、はたまた、少しでもポジティブになれるように自らに言い聞かせているのか…は本人にしかわからない。

だが、いずれにせよ、彼らのリアクションを含めて、この試合はただ不安を増長させるものであったように思う。

今回は、日本代表が抱える数々の課題の中から、特に取り上げるべき項目を5つに絞り、言及していきたい。

“不完全プレッシング”はどうする?

ガーナ戦と比較すると、この試合における日本代表は守備についての考えが変わっていた。

というより、ある部分でより明確になっていたことがある。

それは「高い位置からボールを奪う」というケースと「引いてブロックを作る」というケースを使い分けるという考えだ。

実際、グループリーグで対戦するコロンビア、セネガル、ポーランドとの力量を考えた場合、自らボールを保持できる時間は限られる。そのため「いかにしてボールを奪うか」はかなり重要なテーマとなる。

しかし、ガーナ戦の守備はそこが見えなかった。表現を変えるならば、「ボールを奪いにいくエリア決め」が曖昧であったと言えるだろう。

だが、それらはこのスイス戦では少々改善されたように見えた。

その理由は「ボールを奪われた後、ボールホルダーに対して近くのファーストディフェンダーが寄せる」ということと「(チャンスがあれば)連動して高い位置ボールを奪いに行こう」という意識が感じられたからだ。

現に、前半途中から失点するまでのいくつかのシーンでは、この考えが実り、スイスに対してプレッシャーを与えられていた。

ボールを奪ってもゴールに繋げられなかったこと自体は問題だが、一種の「形」が見られたことは事実だ。

しかし、その一方で、多くの時間帯において「プレッシングがハマらない状況」が続き、何度もそこからピンチを迎えていた点は見逃せない。

彼らがプレッシングのように行っていたものの大半は、不完全な“プレッシング”であったためだ。

大迫や本田らがボールホルダーにアタックを敢行しても、そこには連動性や一貫性がなく、単体でのチェイシングに終始。その恩栄を受けたスイスは簡単にボールを運んでいた。

そこから失点には至らなかったものの、スイスよりも個人能力で勝る選手が何人も存在する、コロンビアやセネガル相手に同じようなシチュエーションが起きていれば…と思うと、恐怖しか湧いてこない。

機会があれば、これらの問題については改めて言及したいものだ。

「デュエル」はいずこ?

この日の選手から「気迫」のようなものがあまり感じられなかったが、それは筆者だけだっただろうか。

球際での激しさ、攻守の切り替えの早さなど、いわゆる「インテンシティ」が欠如するシーンが多く見られてしまった点も非常に残念である。

前任のヴァイッド・ハリルホジッチ監督時代には「デュエル」というキャッチフレーズが代名詞であった。

当時の日本代表が、ボスニア生まれのフランス人指揮官が求めていた通りのプレーが出来ていたかは意見が分かれるところではあるが、少なくとも、ここまで「緩い」試合は前政権ではあまりなかったのではないだろうか。

「レギュラー」と「控え」という構図が明確になり気概が損なわれたのか、本番に影響が出そうな接触プレーを恐れていたのか、その理由はわからない。

ただ、これまで伸ばしてきた(伸ばそうと試みた)特徴までが失われつつある点は、とにかく残念だ。

ワールドカップ最終予選のオーストラリア戦、またはブラジルとの親善試合(におけるいくつかのシーン)などで発揮した、「デュエル」はこのままどこかに葬り去られるのだろうか。

本大会時にはその意識が変わっていることを願うしかない。

大迫勇也は放置?

日本代表がワールドカップへの切符を掴んだ立役者の一人は大迫勇也で間違いないだろう。

ドイツで培ったフィジカルコンタクトにおける強さや体の使い方の巧さは、「縦に早いサッカー」を志向するハリルホジッチからは重宝された。

言わずもがな、日本人FWの中では最も総合能力に秀でており、監督が西野に変わろうともその優位性が落ちることはないだろう。

しかし、このところの彼のパフォーマンスを見ると、少々苦悩しているように感じる。

上述した守備面では、後ろが連動しないことにより「徒労のチェイシング」に終わってしまうばかりで、この現象はスイス戦でも顕著であった。

このところ、決定機で余裕がない(決定機で周りとタイミングが合わない)シーンが散見されるが、明らかに守備時にスタミナを摩耗させてしまっていることがその一因だろう。前半途中に腰を痛めてピッチを退いたが、彼が負傷交代することも必然であったように思うし、仮に出場し続けても後半の早い段階で「ガス欠状態」に陥ったことは想像がつく。

チームとして、最もゴールに近い位置でプレーするべき選手に適した仕事を与えられる環境を作らない限り、渇望しているゴールは遠のくばかりだ。

「2トップにしてタスクを軽減させる」、「1トップで続けるならばトップ下に運動量と献身性を起用してサポートさせる」など、戦術的な工夫を求めたい。

結局、どう戦う?

ガーナ戦、スイス戦が終わり、本大会までに残す試合はいよいよパラグアイ戦のみとなった。

2010年の南アフリカ大会の時のように非公開の練習試合を急遽セッティングするケースは起こり得るが、いずれにせよ、もう猶予はない。

そして、この状況下で最も不安な点は、チームとして目指すゲームモデルが全く見えてこない点だ。

こうなることは、今から二か月前に「解任騒動」が起きた時からある程度は覚悟していた。

しかし、「弱者のサッカー」に徹する気があるのか、「彼ら(特定の選手たち?)が挑戦したいサッカー」を試みるのか、もしくは、対戦相手やシチュエーションによって使い分けるのか…がここまで見えてこないのはただ不安でしかない。

これまでの過程でわかったことは、「スタメン組」と「控え組」の序列。ハリルホジッチ時代から大して変化のない実情。選手たちが「自由」と「やりやすさ」を手に出来たことぐらいだろうか。

少なくとも「コミュニケーション不足」はなく、監督と選手が共通理解を持てていると信じたい。

パラグアイ戦の存在意義は?

上述のようにチームは「不完全」なままだ。

12日に残されたパラグアイとの強化試合では、まだまだ確認するべきポイントがあるだろう。

しかし、試合終了後のフラッシュインタビューで、監督の西野は耳を疑うような発言を行った。

「バックアッパー」という表現を用い、スイス戦で出場時間が短かった、または起用されなかった選手たちをパラグアイ戦で使うつもりであることを明言したのである。

無論、ワールドカップにおいて、チーム全体のコンディショニングやゲーム感覚の調整は必須である。特定の選手に依存するチーム作りは、彼らが出場停止や調子を落とした場合は災難に陥るからだ。

そのためにも全体的に底上げすることは極めて重要なことであり、実際、この期間では試合ごとに選手を丸々入れ替える代表チームも少なくない。

だが、現在の日本代表が、彼らのやり方を踏襲するべきかどうかは甚だ疑問だ。

上述のように解決するべき課題は山積であり、今、重要視するべき点を首脳陣は勘違いしているようにすら思う。

蓋を開けてみないとわからないが、このままでは、パラグアイ戦が本大会を前にして最大の岐路になってしまう可能性は高そうだ。


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