【特集】止まった時間を取り戻す 三女・アーチャリーの素顔(2)

山梨県のオウム真理教施設に入る捜査員たちと富士山麓の教団施設=1995年当時

 オウム真理教の松本智津夫死刑囚(教祖名・麻原彰晃)の三女、松本麗華さん(35)へのインタビュー。父との接見時の状況、会うことができたほかの死刑囚の様子を前回話してくれました。自身の半生を振り返った「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」(講談社)を出したことをきっかけに自分自身を取り戻していくことができたそうです。(共同通信=柴田友明)

空気の変化

 ―いつごろから空気の変化を感じましたか。

 「1989年に(坂本弁護士一家殺害)事件があり、そこから教団の空気が変わっていったという意見もあります。しかし、わたしの認識ではそういう境はなかった。そういう異変を感じなかったのに、実際に事件が起きていたので、人のことは分からないと感じています」

 ―念願だった大学に進学して、同年代の学生と接して、社会とリンクできたという意識はありましたか?

 「土台としてはあります。私の中で日本社会というものがリアリティを持ち始めたというのは大学からです。それまでは通信制高校に行って、アルバイトして予備校に行った。そういう接点はありました。大学では、すごく優しくしてくれる子もいました。ただ、10代、20代前半の学生が私の境遇を正確に理解して受け止めるのは大変だったと思います。何より、私からも心を割って話すことはできませんでした」

 ―弁護士の方から(松本死刑囚を)「麗華ちゃんのおやじさん」という呼び方をして向き合ってくれたことが本に印象的に書かれていました。

 「今まで『麻原』とか、『松本死刑囚』とか言われるのが普通でした。(本を書いて以降)だんだん、松本さんとか、松本さんち、という言い方になって、やっと同じ人間として、家族として普通に扱わることも増えてきたなと…。社会や世間では家族を大切にしろと言われます。私が父を大事にしたいという気持ちを示すとバッシングされる状況がありますが、それはお父さんを心配しているのだと、そう自然に受け止めていただけることも増えたので、ありがたいです」

幸せな時間

 ―今、麗華さんの近況、日常ルーティンはどんな感じですか?

 「原稿を書いたり、事務職やったり、心理カウンセラーも少しやっています。一番楽しいのは健康ヨガのインストラクターの仕事ですね。身体を動かすので、気持ちがいいです」

 ―(オウム真理教の死刑囚13人のうち)何人かが3月に別の拘置所に移送され、執行の準備と報じられました。

 「本を出して、今年の初めぐらいまで、(自分を取り戻して)父の逮捕後これ以上ない幸せな時間を感じました。とはいえ、仕事をクビになったり、報道被害にあったり、おれの親父も人殺してくれないかなと言われたりいろいろありました。でも、たぶん、私の人生の幸せはそのレベルなんだろうな…って。それも今年になって崩れて、3月から眠れなくなっています。しんどいですね」

 ―あらためて聞きます。(後継の)アレフはじめ団体との関係は?

 「オウム真理教から派生したいかなる団体とも関係はありません。もし『アレフ』や『ひかりの輪』が社会から認められている団体だったら、私は迷わず解散してほしいと言えたと思います。ただ、今はもう50歳を過ぎた人たちが多いはずで、彼らには彼らの生活があって、社会的にたたかれているので言いにくい。個人的にはちょっとうんざりしているところです。ただ、本心をいえば、やはり解散してほしいです」

インタビューに応じる松本麗華さんと著書

 23年前、教団の強制捜査や松本死刑囚逮捕の際、筆者は共同通信の現場取材チームの一員(張り番)でした。その後、警視庁担当として捜査サイドという限られた視点で事件に向き合いました。10代の彼女の思いまで考えることがなかっただけに、今回の取材は筆者にとって新たな発見でした。

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