W杯初選出!ハノーファー移籍決定の原口元気、天才の苦悩と努力

現在、ドイツ2部フォルトゥナ・デュッセルドルフでプレーする原口元気の ドイツ1部、ハノーファーへの移籍が決定した。 5月31日には2018FIFAワールドカップロシアに臨む日本代表メンバー23人が発表され、見事メンバー入りした。少年時代から「天才」として知となる同選手の 苦労と努力に迫る!

天才と称され注目され続けた少年時代!全国大会で2冠

原口は埼玉県熊谷市に生まれた。埼玉の名門、江南南サッカー少年団で小学校1年生でサッカーを始めた。常に飛び級で上級生が中心となる試合に出場し、4年生の時には6年生と共に全国大会のにも出場している。5年生で1つ上の学年が中心となる埼玉県トレセンに選出され、5年生ながら6年生は誰1人彼のドリブルを止められなったという。6年生の時には、全日本少年サッカー大会とフットサルの全国大会を優勝し2冠を達成している。フォワードやサイドの攻撃的なポジションで得意のドリブルで相手を切り裂き、得点を量産していった。

そんな同選手だが、5年生の時は全日本少年サッカー大会の県予選で敗れている。その時、負けた相手が1学年上の山田直輝がいたFC浦和だった。原口は山田のプレーに衝撃を受け、「あの選手と一緒にプレーしたい」と思ったのが、浦和レッズジュニアユースに進むきっかけになったという。

苦悩を乗り越え再び全国制覇!そして飛び級でユース昇格、プロの舞台へ

小学生までは順風満帆だった原口のサッカー人生だったが、中学時代に成長期という壁にぶち当たる。中学入学時点の原口の身長は151㎝で中1のときにはそこまで身長が伸びず、江南南で見せていたような自由自在の個人技を出せなくなってしまったという。体が小さいこともあり、フィジカル面で特に苦労し、体の大きい選手に潰されていたようだ。

さらに、膝を負傷し、1ヶ月以上プレーできない日々が続いた。そんな状況で原口のサッカーへの

姿勢や態度はこれまでと随分変わったという。コーチとぶつかることもあったというが、淀川知治氏や中学2年から原口を指導した池田伸康氏の教えもあり、少年時代から「お山の大将」だった原口は精神的にも成長していった。

池田氏に指導を受けるようになってから、変化が見え始めた原口は、高円宮杯U-15を2年生で

制覇するなど、中学年代の全ての主要大会で優勝することができたという。その後も自身の武器で

あるドリブルに磨きをかけた同選手は、飛び級で浦和レッズのユースチームに昇格する。高校1年生の時には、トップチームのサテライトでもプレーするなど、メディアにも大きく注目される存在と

なった。その後、当時のレッズの提携先であったバイエルン・ミュンヘンから練習生としてオファーを受ける。

2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録され、5月25日のナビスコカップ、名古屋グランパスエイト戦でトップチームデビューを飾った。高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会でも優勝し、U-19日本代表にも選出された。

そして、2009年1月30日には、日本人クラブ最年少となる17歳263日でプロ契約を果たし、念願の

プロサッカー選手「原口元気」となった。

プロ1年目から試合に出場し続け、レッズの主力に

原口はプロ契約を結んだ年の2009年、J1で32試合に出場し1ゴールを記録。その後、2010年は攻撃的なポジションの選手層が厚く、途中出場が多かったが2011年は開幕からレギュラーに定着し、ナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)ではニューヒーロー賞を受賞。

2012年はベンチスタートが多かったが、翌2013年はキャリア最多の13ゴールを記録する。浦和レッズではJ1のリーグ戦、167試合に出場し33ゴールを記録した。若くしてチームの主力の原口はファン・サポーターからも人気の存在になり、クラブにとっても欠かせない存在となった。

一方で、少年時代から「生意気」だった同選手は、他の選手や関係者への態度が問題視されることもあった。過去には浦和レッズユース時代からの後輩を練習中にからかわれたことが原因で蹴り飛ばしてしまうこともあり、チームメイトから「生意気小僧」と評されていた。

海外への挑戦、苦悩と努力。プライベートでは転機も

2014年5月25日、同年6月からの4年契約で原口はドイツのブンデスリーガ1部、ヘルタ・ベルリンに

完全移籍を果たし、23歳で初の海外挑戦となった。同選手は、カップ戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFで先発して移籍後初ゴールを挙げた。さらには、同年8月24日に行われたブンデスリーガ開幕戦のヴェルダー・ブレーメン戦でスタメン出場し、2得点に絡む活躍を見せるなど、良いスターときった。しかし、その試合で終了間際に相手のタックルを受けて3週間の離脱を余儀なくされた。

そこから、原口の苦悩が始まり、ヨーロッパ主要リーグの洗礼を受けるようになる。「怪我から復帰後は球際で負けたり、抜いたと思っても、相手の足に引っかかってボールを取られたり、すぐにふたり目の敵が来て止められたり、Jリーグにはない迫力に戸惑った」と本人は語っている。

そして、同選手はそれ以上にヘルタの守ってカウンターという戦術が自分のプレースタイルに合って

いないことが痛かったとも語っており、左サイドのMFとしてプレーする原口は上がり下がりの激しいプレーに苦しんだ。

10月に入ると、原口はベンチスタートが多くなり、後半からの出場が増えていった。同選手は「なかなかコンディションが上がらなくて、ポンッと途中で試合に出されても走れないし、自分のプレイができない。かなり悩んで、友人にも電話で相談したけど、近くで見ているわけじゃないから、自分がどういう状況なのか、本当のところはわからない。レッズにいたときは、身近な人がアドバイスをくれたり、(苦しいときに)助けてくれる仲間がいたりしたけど、ドイツでは自分ひとりで解決しなければいけなかった。」とインタビューで応えており、慣れないドイツ語でのコミュニケーションを取る環境にも苦しんだ。

レッズ時代のようにみんなが自分のことを分かっているわけではない。そんな状況で当時のように暴れるわけにもいかない。そんな状況で原口は、ヘルタの走るサッカーに適応するために、徹底的に走ることを決意し、1月のキャンプから走力の強化に取り組んだ。

すると、2015年2月4日に行われたレバークーゼン戦で原口は久しぶりに先発フル出場を果たした。その直後、成績不振でルフカイ監督が解任され、新たにパル・ダルダイ監督が就任してからは、再び原口は5試合続けて出番を失った。しかし、3月14日のシャルケ戦で後半24分から途中出場。すかさずゴールを記録し、見事チャンスを生かす。試合は2-2の引き分けに終わったものの左MFのポジションをつかみ始めていった。

4月に入るとレギュラーに定着した原口は結果、ブンデスリーガ1年目を18チーム中15位で終え、なんとか残留を果たす。

そして、その4ヶ月後、原口にプライベートで大きな変化が訪れる。2015年8月30日に3年半の交際

経て、5歳年上のタレント、香屋ルリコと結婚することとなった。

日本代表にも定着するが、活躍と苦悩は続く そして移籍も

原口は2015-16シーズン、前年を上回る活躍を見せた。第4節のシュツットガルト戦でシーズン初得点をあげると2016年3月19日、第27節のFCインゴルシュタット04戦では1得点1アシストの活躍を見せてMOMに選出された。この年はリーグ戦32試合に出場し、2ゴールを記録した。

2016-17シーズンは第2節のFCインゴルシュタット04戦で先発出場し、2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選出。その後リーグ戦第9節までフル出場していたが、第11節で初めて先発を外されて以来、ベンチを温めることが増えていく。2月4日、第19節のインゴルシュタット戦では開始59秒でシーズン初得点を決め、再び先発出場する機会を増やしたものの終盤は思ったような結果が残せず、また出場機会は減っていった。

そして、ヘルタを退団し、プレミアリーグへの移籍も噂されたがヘルタに残留した原口は2017-18シーズンを迎えた。8月19日のブンデスリーガ開幕節、シュツットガルト戦で途中出場を果たすと9月14日に行われた欧州ELアスレティック・ビルバオ戦でELデビューを果たした。

その後、9月20日のブンデスリーガ5節、レバークーゼン戦で途中出場し、ヘルタで通算100試合出場を達成した。さらに10月1日のバイエルン戦ではアシストを記録し、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

しかし、その次の試合となったシャルケ戦で危険なタックルで一発レッドカードで退場し、2試合の出場停止となると、そこから出場機会は激減していった。

そんな中、2018年1月23日にドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフにレンタル移籍が発表された。同クラブは日本代表でも共にプレーし、小学生の頃から同じ天才と評されてきた宇佐美貴史も所属している。宇佐美と一緒にプレーすることになった原口は移籍発表の翌日の1月24日、ブンデス2部第19節のFCエルツゲビルゲ・アウエ戦で早速デビューを果たす。すると3日後の27日に行われた1.FCカイザースラウテルン戦でスタメンフル出場を果たし、1ゴール1アシストの活躍でチームを勝利に導き、マン・オブ・ザ・マッチに選出された。

2011年に初めて日本代表に選出された同選手はアジア日本代表にも選出され続けた原口は2015年6月以降、日本代表にも定着し、ここまで33試合で6得点を挙げている。

そして、2018年6月12日にブンデスリーガ1部のハノーファーへの移籍が決定し、再び1部リーグでプレーすることが正式決定した。

中学生時代に初めてサッカーで壁にぶち当たるも、周りの支えや努力で乗り越えた原口元気。ドイツに渡ってからも途中出場が続いたことも多かったが、努力や奥さんの支えもあり乗り越えてきた。ドイツに行ってからは人間的にも成長し、浦和時代のような問題を起こすこともなくなった。そんな27歳の同選手は今月、夢の舞台である「ワールドカップ」のピッチに立つことになる。

ドイツでの苦悩を乗り越え、大きく成長した原口の今後の活躍に期待したい。

辻本拳也 ツイッター

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