現在FIFAのルールにおいて、原則的には複数の代表チームでプレーすることは認められていない。
しかし時に親善試合だけの出場であった場合は国籍変更が認められる場合があり、2つの国を代表した経験を持つ選手が稀に存在する。
そして、そのルールが制定される前には、2つの国の代表としてワールドカップ決勝に出たことがあるレアな選手も…。
チアゴ・モッタ
イタリア出身の両親を持ち、ブラジルで生まれたチアゴ・モッタ。ユース年代からセレソンに選ばれ、2003年のゴールドカップで出場した。
しかし2011年、彼はブラジルからイタリアへと鞍替え。アッズーリのユニフォームを着てデビューした。
ミシェル・プラティニ
かつてUEFA会長を務めていたプラティニ。フランス代表で72capを獲得した名選手だ。
1988年に現役引退を決断したあと、彼はクウェート代表の一員としてプレーした。ソビエト連邦との親善試合でだ。
ジエゴ・コスタ
1988年にブラジルで生まれた彼は、2014年ワールドカップの前にセレソンに呼ばれ、親善試合で2回プレーしていた。
しかしその後彼はスペイン代表を選択。2014年2月に初めて「無敵艦隊」の一員となり、今大会でもエースストライカーとして期待される。
ルイス・モンティ
1901年にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれたルイス・モンティは、2つの国の代表としてワールドカップ決勝に出場した珍しい選手だ。
1924年にアルゼンチン代表として戦い、1931年まで16capを獲得した。そして1932年、イタリア代表に招集。1934年にワールドカップ優勝を果たしている。
アルフレド・ディ・ステファノ
1926年にアルゼンチンで生まれたディ・ステファノは、レアル・マドリーの伝説的な選手である。
彼は3つの代表でプレーした選手だ。まずはアルゼンチン、そしてコロンビア、最終的にはスペイン代表の一員になった。