社説(6/15):福島第2原発廃炉/遅すぎた決断 信頼は失墜

 福島第1原発の事故後も、存続か廃炉かずっと曖昧にされてきた福島第2原発(楢葉町、富岡町)について、東京電力が14日、4基全てを廃炉とする方針を福島県の内堀雅雄知事に伝えた。

 「原発事故からの復興の障害になる」という地元からの廃炉要請にようやく応えたことになるが、なぜここまで遅くなったのか、福島県民には理解不能だろう。

 東電は炉心溶融(メルトダウン)を引き起こした第1原発の事故だけでなく、第2原発の問題でも福島県民の信頼を大きく損ねたことを反省すべきだ。

 遅すぎる決定になったが、今後はできるだけ早く廃炉までの具体的な計画を策定し、県民の理解を得なければならない。第2原発は「運転開始から40年」を機に、廃炉を決めていくつもりではないかという観測もあったが、そんな悠長なことは許されない。

 第2原発1~4号機(いずれも出力110万キロワット)が運転を開始したのは、1982年から87年にかけて。第1原発のおよそ10年後になり、東電は計10基の原子炉を福島県の浜通り地方に集中立地させる結果になった。

 東日本大震災の際、第2原発は4基とも運転中だった。津波で多くの非常用ディーゼル発電機や配電設備が使用不能になり、危機的な状況に陥ったが、懸命の復旧作業によって4日後には全て冷温停止にこぎつけた。

 第1原発のような重大事故は免れたものの、運転停止は7年3カ月に及んでいる。

 第1原発と第2原発はわずか12キロしか離れていない。一方の原発が破滅的な損害と放射能汚染をもたらしたのに、もう一方の原発が再稼働するなどということは到底理解を得られないだろう。

 東日本大震災から3カ月後の2011年6月には、当時の佐藤雄平知事が「脱原発」を明言、その4カ月後に県議会が「県内全原発の廃炉」を求める請願を採択した。

 原発事故によって第2原発の命運は尽きていたのに、東電は廃炉を言い出さないまま、ずるずると時間ばかりが過ぎてきた。

 内堀知事らが事あるごとに「第2原発廃炉」を求め、東電が曖昧な返答を繰り返すのは、まるで年中行事のようになっていた。

 極めて重大な原発事故を引き起こしてもなお、「第1原発の廃炉作業のバックアップに必要」「発電部門全体を考えてから結論」などと、理由にならない理由を並べ立てる東電に反発が強まっていたのは当然のことだ。

 福島県の被災者らにとっては、不当に待たされた揚げ句の廃炉決定になる。県は廃炉スケジュールの策定を東電に急がせなければならないし、政府も影響力を行使していくべきだ。東電任せにしておいては、またも振り回される事態になりかねない。

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