現場に目を向けて 救済後から変わらぬ願い 背信の衝撃②

「事件についてはもういいやっていう感じです。それより目の前の生徒と向き合いたい」(写真はイメージ)

 もし、県教委汚職事件が発覚していなかったら―。

 40代の男性中学教諭はふと思う。「自分はいつ『先生』になることができたのだろうか」

 授業、部活動、生徒指導…。たくましい体に日焼けした肌は、思春期の多感な生徒たちに力を注いできた証しだ。

 「もう10年か」。すっかり、時の経過を忘れていた。

 発覚後に一転合格

 2008年度教員採用試験だった。予備校で入念な対策を練って臨んだ。結果は「不合格」。挑戦は10回を超え、手応えがあった。

 「努力が足りんかった」。そう受け止めざるを得なかったことを思い出す。

 そもそも合格するはずがなかった。県教委幹部がデータを改ざんし、誰かを意図的に採用する代わり、答案から40点ほど削られていた。

 県警の本格捜査が始まり、約3カ月たった08年9月。県教委から呼び出しがあった。「本来は合格だった。申し訳ない」。人目につきにくい会議室での謝罪。救済措置で年度途中から教諭になると決まった。

 臨時講師を10年以上続け、中学教諭になることを家族と一緒に目指してきた。あっけない知らせに、怒りでも喜びでもなく、「あぜんとした」。

「複雑な気持ちに」

 毎年のように職場が変わる講師時代とは違い、腰を据えて子どもたちと向き合えるようになった。手のかかった生徒と迎える卒業式は胸が熱くなる。「人を育てる喜び。教師冥利(みょうり)に尽きる」

 試験データの改ざんは、名前さえ知らない幹部の不正だった。口利きなどの真相が明らかになっていないことは、もちろん知っている。今後も解明されないかもしれない。

 「いろいろ考えても、複雑な気持ちになるだけ」。過去を振り返らず、ひたすら前を向いてきた。

 正採用の日から、年齢を10歳重ねた。働く中学の職員室では、もう中堅だ。

 「学校で頑張っている先生はたくさんいる。現場の姿にきちんと目を向ける教育界になってほしい」

 県教委に求める思いは、当時も今も変わらない。

©有限会社大分合同新聞社

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