今後の学校防災を考えるため、大川小津波訴訟判決をじっくり読んでみる (地裁判決編) 大変だけど、全文を読んで、それから考えよう

東日本大震災で被災した宮城県の石巻市立大川小学校(2016年3月11日編集部撮影)

大川小学校津波訴訟の控訴審判決(仙台高裁判決)が今年4月26日に出されました。判決について、宮城県と石巻市は上告を決定しています。

判決に対し、どのような立場をとる方であっても、この大川小学校で74名の児童が死亡あるいは行方不明になり、教員が10名も命を失った無念さと心苦しさは共有できるし、すべきものという認識は共通なのではないでしょうか?

判決文が出ると、要旨が報告され、それについての賛否も目にする機会が増えます。そうすると、なんとなく理解した気持ちになって、議論をしてしまいがちでもあります。

でも、あまりにも辛く悲しい被害でした。朝出かけた子どもに二度と会えない親のつらさは、文章にするのも気が引けるほどです。ですので、今回は、判決がどのような言葉を使って命に寄り添っているか知っていただき、学校防災に関心のある皆様が、判決全文を読んだあとで、議論していただけたらいいなと思って記事にしました。

というのも、この判決が出た直後、誤読情報が流れたので、誤解したままの方も少なくないようです。誤読だけは、亡くなった方たちに申し訳がたたないと思うのです。どのような見解をとる方でも、まず、ここは間違わないようにしておきたいです。

それは、この判決が千年に1度と言われる東日本大震災の津波を、学校や行政に予見すべきとしたわけではないということです。

千年に1度なんて予見できるわけがない。学校に責任を負わせるなんて過大な責任を負わせていてひどい!と未だに憤っている方は、読んでない疑惑が確定に変わるのでご注意を。

判決文では「大川小校長らが予見すべき対象は東日本大震災ではなく、04年に想定された『宮城県沖地震』(マグニチュード8.0)で生じる津波」と明記されています。

ところで、当たり前ですが、高裁判決は、地裁判決を前提にしているのです。大川小学校の地裁判決の結論は、教師の過失を認め国家賠償請求を認めています。このことから、高裁の結論(理由付け)に反対という人の中でも、高裁には反対だけど、地裁の結論(理由付け)には賛成という方もいます。また、高裁にも地裁にも反対という結論がありえます。厳密には高裁と地裁の単純な賛否の組み合わせでも4パターンあります。だから、高裁への賛否がどのような理由に基づくものなのか、少なくとも地裁をしっかり読んで、それへの賛否を明確にしないと説得的な主張になりません。

実際、各地で講演していますが、東日本大震災の記憶が風化していると感じることがよくあります。短大を出たばかりの保育士さんに、大川小学校の状況はなんとなくしかわからないという話をお聞きしました。当時、中学生なのです。そんなわけで高裁判決がでた今だから、まずは地裁全文をみなさんと一緒に読んで考えられたらと思いました。

法律解説ではなく、まずは読んでみようという企画ですので、法律論と関係ない部分も引用しています。けれど、子どもたちの足跡を一緒に感じていただければと思うので、ご容赦くださいませ。

■大川小津波訴訟 地裁判決全文はこちらから
http://www.courts.go.jp/app/files/hanreijp/266/086266hanrei.pdf

まず、地裁判決に「当事者間で争いのない事実」として、大川小学校で起こった出来事が記載されています。読んでいるだけで切なくなりますが、状況をご確認ください。

ア 午後2時46分,宮城県沖を震源地とするマグニチュード9.0の本件地震か発生し,石巻市では震度6強が観測された。

イ 大川小学校では,本件地震の揺れか止んだ後,教員か下校前の児童を校庭に避難させたほか,下校を始めていた児童のほとんども校内に戻り又は 留まり,全体では100名余りの児童と11名の教職員が校庭に避難したが,児童のうち27名は,午後3時30分頃までに保護者等によって引き取られて教員の管理下を離れた。 

写真を拡大 震災後の地図を元に再現しているので大まかな位置情報であることをご了承ください。地図中、「しいたけ山」とあるものは、判例では「裏山」と呼ばれています (地図作成 あんどうりす)

さらに判決を読んでいきます。

校庭に避難した70名余りの児童は,午後3時30分過ぎまでここに留まった後,教員の指示の下,列を作って交流会館の駐車場を通り,三角地帯の方向に徒歩で向かったが,交流会館の敷地を列の最後尾が通り抜けた頃,津波が付近に襲来した。津波から生き残ったのは,児童4名とE教諭のみで,その余の児童と教職員は全員死亡した。被災児童のうち2名(別紙3被災児童一覧表の番号16及び22の児童)の遺体は,現在まで発見されていない。

まだ発見されていないお子様たちが番号で呼ばれてしまうのだということに、判例文とはそういうものとわかっていても、個人的には、どうにもやりきれない気持ちになってしまいます。

ウ 大川小学校には,午後3時37分頃に津波が到達した。水面は2階建ての管理・教室棟校舎の屋根付近まで達し,校舎と体育館は水没して全壊した。 

「交流会館」は地図でみていただくと大川小学校のすぐ隣ですね。学校からそれだけの距離しか移動できてないのです。先頭のお子さんが避難開始から移動した距離は150m、津波から避難した時間はたったの1分です。14時46分の地震発生から津波到達の15時37分までの時間は51分でした。

ここで地裁判決は、「地震及び津波に関する一般的知見」としてこんなことも書いています。津波防災を学ぶ人は誰でも知っておくべき内容です。

津波の高さ(水位上昇時における津波による水面の高さと津波がなか った場合に予測される水面の高さとの差の最大値)は,沖合の深い海では小さくても,海岸に近づくにつれて大きくなることが知られている。

津波の水位が人の膝を超えると,歩行速度が低下して移動の自由が奪われ,1mの水位で人命に確実に影響するようになり,2m程度以上では確実に死者が発生し,増加する。物的被害としては,津波の高さ1mで木造家屋の部分破壊が起こり,2m程度以上で木造家屋に全面破壊をもたらし,3mを超えると急激に被害率が上がり,極めて重大な災害が発生するおそれがあるとされる。津波から身を守るには,避難が唯一の方法である。 

ところで大川小学校は海から3.8kmあります。判例では以下の事実をもって過失を認定したわけではないのですが、こんな事にも言及しています

(イ)    海に注ぎ込む河川や水路には,海に面する開口部から津波が進入して くる危険があり,河川自体は,比較的津波の遡上しやすい水路とされ,平成15年の十勝沖地震では,十勝川を津波が河口から11km上流まで遡上したことが確認されている。 

また、以下もこれをもって過失認定したわけではないのですが、当時のハザードマップの記載について具体的に紹介しています。

防災ガイド・ハザードマップは,地区別の冊子として取りまとめられ, 市民や関係機関に配布された。その河北地区版では,旧河北町地域の津波 ハザードマップとして,およそ5万分の1の縮尺のカラー航空写真に浸水 深を色塗りする方法で,宮城県の前記津波浸水予測図と同内容の予想浸水 区域が示されるとともに,大川小学校は,避難場所の1つとして表示され た。津波ハザードマップに関しては,本文中で,「この地図は,...津波が発生した場合の市内の予想浸水区域並び各地域の避難場所を示したものです。浸水の着色の無い地域でも,状況によって浸水するおそれがありますので,注意してください。津波に対してはできるだけ早く安全な高台に避 難することが大切です。いざというときに備え,あなたの家から避難場所までの経路,家族の連絡先などを確認しておき,また,危ない場所などを 把握しておきましょう。」と説明されていた。 

大川小学校のハザードマップでは津波浸水域として浸水の着色はされていませんでした。でも、注意書きではなく本文中に、「浸水の着色の無い地域でも,状況によって浸水するおそれがありますので,注意してください。津波に対してはできるだけ早く安全な高台に避難することが大切です」とは書かれていたのですね。

何度も言いますが、この事実をもって過失認定されたわけでないのです。そして後だから言えることなのではありますが、大人がこのハザードマップをもっと深く読み、考えていられたらなと悔しい気持ちになります。さらに、これまた、過失認定に使われた事実ではありませんが、このような記載があります。

(エ) 石巻市教育委員会教頭・中堅教員研修会(甲A10,12の4ないし 6) 
平成22年8月4日開催の上記研修会は,石巻市総務部防災対策課のH危機管理監を講師とする「児童生徒の安全確保・文教対策」との演題での講話を内容として行われ,大川小学校から,D教頭,E教諭外1名が参加した。

この部分、防災を人に伝えている身としては、震災前にどのような防災講座が実施されていたか気になるところです。

この講話のうち児童生徒の安全確保に関する部分では,風水害に関する気象警報等の発表時と,地震や洪水,原子力災害等の災害 発生時とに局面を分けて説明がされ,後者の局面における対応としての避難に関しては,学校自体が危険なときの集団避難の必要性,具体的には,津波危険の場合(震度4以上の強い揺れ又は揺れの長い地震を感じ たとき)には高台への避難,洪水や土砂災害に対しては危険の種類に合 わせた避難を行うべきことが説かれ,講話の最後には,プロアクティブの原則として,「疑わしいときは行動せよ,最悪の事態を想定して行動 (決心)せよ,空振りは許されるが見逃しは許されない」との考え方が紹介された。 

上記、プロアクティブの原則の部分は、今読むと胸が痛みます。「疑わしいときは行動せよ,最悪の事態を想定して行動 (決心)せよ,空振りは許されるが見逃しは許されない」ということを亡くなられたD教頭と生存されたE教諭は聞かれていたのですね。

では、学校内ではどのように検討されていたのでしょうか。判例によると

ウ 平成23年初め頃,C校長,D教頭及びE教諭の間で,万が一津波が大川小学校まで来た場合の対応をどうするかが話題となったことがあり,校舎の2階に逃げるか又は裏山に逃げるかという話も出たが,特段の結論には至らなかった。また,この3人の間では,同年3月9日の上記地震発生後にも同様の話題が出て,C校長から,造成斜面右側の竹藪から登って逃げるほかないという考えも述べられたが,このときも特段の結論には至らなかった(乙31,証人C)

とあります。議論はされていたけど、結論は至っていなかったのですね。その後、判決は時系列にそって、学校周辺でどのような警報が出されていたかが記載されています。

カ 河北総合支所は,午後2時52分頃,防災行政無線で,サイレンを鳴らすとともに,「ただ今,宮城県沿岸に大津波警報が発令されました。ただ今,宮城県沿岸に大津波警報が発令されました。海岸付近や河川の堤防などには絶対近づかないでください。」と呼び掛け,この音声は,大川小学校校庭の屋外拡声器から流れ,校庭でも聞こえた。校庭では,午後3時1 0分頃にも,「現在,宮城県沿岸に大津波警報が発令中です。現在,宮城県沿岸に大津波警報が発令中です。海岸付近や河川の堤防などには絶対近 づ か な い で く だ さ い 。」と の 防 災 行 政 無 線 の 呼 び 掛 け が 流 れ た( 甲 A 2 1 )。

ケ 河北消防署の消防車は,午後3時20分又はそれより早い時点で,サイレンを鳴らしながら大川小学校前の県道を通過し,拡声器で大津波警報が発令されたことを伝えるとともに避難を呼び掛けた。 

その後、判決の文章は揺れが収まった直後から午後3時30分までの大川小学校内の様子についての記載になります。他の部分はななめ読みでも構いませんが、以下は、辛い事実ですが、しっかり記憶にとどめなければと思っています。

(イ)    一部の地域住民の中には,教職員に対し,「津波だから高いところに 登れ。」,「津波が来るから逃げろ。」と言う者がおり,児童を迎えに来た保護者の中にも,教員に対し,裏山を指しながら「山に逃げて。」 と言う者がいた(甲A72の10,証人J)。

 (エ) 教員は,D教頭を中心に,津波の襲来を念頭に,児童を校庭から更に 別の場所に避難させるべきかどうかを早い段階から協議検討しており, 教員の中には,裏山への避難を提案する者もいた(甲A28)。 

D教頭は,校庭に来ていた釜谷地区の区長に対し,「山に逃げた方が良い。」,「山に逃げよう。」,「山に上がらせてくれ。」,「裏の山は崩れるんですか。」,「子供達を登らせたいんだけど。」,「無理がありますか。」などと言って裏山に避難することへの意見を求めたが, 釜谷地区の区長は「ここまで来ないから大丈夫」,「学校にいた方が安全だ。」と答えた。また,教員の中には,校庭に集まっていた地域住民に,「山に登っても危なくないですか。」,「小さな子どもたちが登っても大丈夫ですか。」と尋ねる者もいた。 

地域の方と先生の間でこんなやりとりがあったのですね。この部分、のちに検討されることになるので、覚えておいてください。

(オ) E教諭は,児童に着用させる上着や靴を取りに校舎に何回か出入りし たり,児童の用便に付き添うほか,無断で体育館に入ろうとする住民を 制止するなどの対応に当たっていた(甲A24,28,39)。

当時,大川小学校付近では,平地に積雪はなく,曇空の下,みぞれや 雪が,積もらない程度に断続的に降る天候であった(甲A80,乙1[5 8])。 

天候の悪い中で、様々な状況に対応する学校側の様子が目に浮かびます。その後判例は、どの時点で津波が大川小学校に到来する危険を感じたかの検討に移ります。

長面方面に向かっていた河北総合支所の3台の広報車のうち,先頭の広報車を運転していたKは,県道を走行中,約2km前方の追波湾沿岸の松林付近で,津波が樹木を超える高さの水煙とともに林を通り抜けて内陸に襲来しているのを見て,危険を避けるために方向転換して引き返し,その余の2台もこれに続いた。Kは,県道を西に進む途中,釜谷地区の谷地中集落や新町裏集落を通りながら,松林を津波が抜けてきたのですぐ高台へ避難するよう拡声器で呼び掛け,遅くとも午後3時30分頃までには,大川小学校前を同様の広報を行いながら通り過ぎ,三角地帯に至った(甲A2 2の45,22の47,22の48,乙32,証人K)。 

先頭の広報車が津波を実際に見て、広報しながら引き返してこられたのですね。

ちなみに,河北総合支所の広報車が大川小学校前を通過した時間は厳密には認定し得ないものの,原告らは午後3時25分頃であると,被告らは午後3時28分から30分頃であると主張し,また,Lに対する聴取書(甲 A22の48)によれば,同人の乗車する広報車が午後3時30分頃に三角地帯に到着した際,他の2台の広報車は既に到着し,誘導をしていたということからすると,いかに遅くとも,午後3時30分頃までには広報車が大川小学校の前を通過していた事実を認めることができる。

原告と被告で主張する時刻が違ったのですね。地裁判決は遅くとも午後3時30分ごとまでには、この広報車が小学校前を通過していたと事実認定しています。

ス E教諭は,遅くとも午後3時30分頃までに,河北総合支所の広報車が, 上記のように避難を呼び掛けながら県道を通るのを聞き,D教頭に,「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山へ逃げますか。」と問い掛け,D教頭は,E教諭に,校舎2階への避難が可能かどうか確認するよう指示した。しかし,E教諭が校舎内を見回っている間に,それ以外の教員は,校庭から三角地帯に移動することを決め,児童らに「三角地帯に逃げるから,走らず,列を作っていきましょう。」などと指示して列を作らせ,午後3時30分頃以降,遅くとも午後3時35分頃までに徒歩で校庭を出発し,これに付き従う地域住民もいた(甲A28,39)。 

この部分の、走らず列を作って避難した点についてはのちほど、判断されていくことになるので、意識して読んでみてください。

教職員と児童の列は,敷地西側の通用口から市道に出て,おおよそ別紙8図面に示したような経路で,市道を南に若干進んで交流会館駐車場入り口のところで西に曲がって駐車場に入り,ここを通って更に三角地帯の方向に西に進んだ。交流会館の敷地西側の境界を列の最後尾が越えた頃,北上川を遡上した津波が,新北上大橋付近の右岸堤防から越流して一帯に襲来し,教職員と児童は津波に呑まれた(甲A107)。

行列して歩いていた70名余りの児童は,4名を除いて全員が死亡し(うち23名が原告らの子である被災児童),教職員は,E教諭以外の全員が死亡した。 

ここはもう何もコメントできまません。
この後、地裁は、注意義務違反があったか検討していきます。

4) 以上で検討したところに照らすと,平成21年4月の改正学校保健安全法 施行後にあっても,大川小学校の実情として,同法29条に基づき作成すべ き危険等発生時対処要領に,津波発生時の具体的な避難場所や避難方法,避 難手順等を明記しなければならなかったとまでいうことはできず,したがっ て,同法を根拠に,教員が,そのような内容に危機管理マニュアルを改訂す べき注意義務があったともいえない。

そして,このほか原告らが主張するようなマニュアル改訂をすべき注意義務を教員に課すべき理由は認められないから,同注意義務違反をいう原告ら の主張は,前提を欠いたものとして,採用できない。

地裁判決は、マニュアル改訂の注意義務違反については否定しています。地震後の避難について地裁判決はどういっているのでしょうか?

イ 教員は,本件地震発生当初,下校前の学校管理下の児童を,揺れが収ま るまで机の下に入らせ,揺れが収まった後には校庭に避難させ,続いて, 下校直後に学校に戻り又は留まって校庭に避難した児童も併せて100名余りを,下校させないまま継続的に管理下に置いたのであるが,認定事実によれば,教員のこのような対応は,在校中児童の校庭への避難誘導を行った上,体感された本件地震の規模の大きさ,午後2時52分頃に防災行 政無線から流れた宮城県沿岸への大津波警報発令の情報やラジオから得られた地震津波関係の情報,余震が繰り返し発生している状況等を踏まえ,本件地震の揺れが収まった後も,下校途中や帰宅後の児童の安全が十分に確保されていないものと判断し,保護者等の迎えにより安全が確保されている児童を個別に下校させる以外,大津波警報が解除されたり余震が収束するなどして安全が確認されるまでの間,スクールバスを利用するものも含めて児童の下校を見合わせるという,児童の安全確保のために必要な措置を執ったものと認められ,それ自体は,危機管理マニュアルにも則った適切なものであったということができる。 

児童を校庭に待機させたままにした点については、保護者のお迎えに対応していること、下校をみあわせるなどの安全確保のための必要な手段であることから、危機管理マニュアルにも則った適切なものだったとするのが地裁の結論です。

そして,石巻市の防災ガイド・ハザードマップ上,大川小学校が津波時の避難場所として指定されていたこと,保護者等の迎えがあった児童は個別に下校させる必要があったこと,校庭では防災行政無線の放送を聞くことができたこと,といった事情からすると,教員において,当面は大川小学校を離れずに校庭に留まり,ラジオや防災行政無線を通じて本件地震や津波に関する情報収集を行い,余震の推移を見極めるなどしようとしたとしても,これを不相当と評価すべきではない。 

大川小学校がハザードマップ上、津波時の避難場所になっていたので、教員が放送を聞いて情報収集をしていても不相当ではないとしました。

この後、判決は、そうはいってもこれは過失と言えるという事例をだしてきます。「校庭で避難を継続することが具体的に危険」とわかれば避難しなければならないので、具体的な危険がわかっているのに、避難を怠れば過失になるという理由なのですが、3時30分以前の段階の出来事について、判例はいずれも「具体的に危険」とは、わからなかったとします。しかし、

そのような中,河北総合支所の広報車による呼び掛けに関しては,前記認定のとおり,遅くとも午後3時30分頃までには,広報車が大川小学校の前を広報しながら通り過ぎて三角地帯に至り,それを聞いたE教諭がD教頭に対して,「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山に逃げますか。」などと問い掛けていたものと認められる。

このように,E教諭は,河北総合支所の広報車による呼び掛けを聞いたものであるが,これは,ラジオによる宮城県全般に関する情報などではなく,大川小学校に面した県道を走行中の広報車からの,津波が長面地区沿岸の松林を抜けてきており,大川小学校の所在地付近に現実の危険が及んでいることを伝えるものであった。 

そうすると,この時点で,大川小学校の教員は,「宮城県内」という幅をもたせたものではなく,大川小学校の所在地を含む地域に対し,現に津波が迫っていることを知ったということができ,また,前記のとおり,長面地区から大川小学校が所在する釜谷地区にかけては平坦で,特に北上川沿いには津波の進行を妨げるような高台等の障害物もない地形であり,大川小学校の標高も1ないし1.5m前後しかないことからす ると,教員としても,遅くとも上記広報を聞いた時点では,程なくして近時の地震で経験したものとは全く異なる大規模な津波が大川小学校に襲来し,そのまま校庭に留まっていた場合には,児童の生命身体に具体的な危険が生じることを現に予見したものと認められる。 

ということで、地裁判決は3時30分の時点で予見可能性を認めたということになります。

そして予見できたとしても、結果が避けられなければ過失ありとはいえません。結果は避けられたのか、結果回避義務について、まず、三角地帯が避難場所として適当であったかが検討されます。判例は、このように述べています。

イ そこで,児童の避難場所として,三角地帯あるいは同所方面を想定した ことの当否について検討するに,三角地帯付近は,新北上大橋付近の北上 川右岸に位置する標高約7mの小高い丘状の地形で,河川堤防を除けば, 大川小学校周辺では,平常時から人が立ち入る場所として,平地より標高が高い唯一のところであり,大川小学校からは直線距離で150m離れた場所に位置している。

このような位置関係からすると,三角地帯は,北上川からの距離は近いとはいえ,少なくとも大川小学校の校庭より標高が高く,また,北上川の状況を確認することができるという面において,津波襲来の危険がいまだ抽象的に予見されるにすぎない段階であれば,校庭と比較して,避難場所としては適しているといえなくもない。 
 

適しているといえなくもない、という微妙な表現ですね。標高が7mあり学校校庭より高いので、具体的な危険がせまっていない段階では校庭よりはましという限定した言い方になっています。その後、しかしと続きます。

ウ しかしながら,河北総合支所の広報によれば,津波は北上川河口付近の 長面地区沿岸の松林を越えたというのであるから,その後,津波が北上川 を遡上し,あるいは,高台等もなく,進行を妨げるもののない川沿いの土 地上を進行してくることは,大川小学校に在職していた教員としては容易 に想定し得たものと推認できることに加え,襲来する津波の高さが,当初 の大津波警報による6mであったとしても,これは,標高4m前後(水面 からの高さは3mほど)の富士川の堤防の高さを超え,標高5ないし6m (水面からの高さは4m以上)程度の北上川の堤防の高さに匹敵するものである上,その後に変更された予想津波高10mは,上記各堤防の標高の2倍にも迫り,あるいはこれを超えるものであることや,三角地帯付近にはより高い避難場所がなく,津波が三角地帯にまで到達した場合,次なる逃げ場が全くなくなってしまうことからすると,同所は,当面の避難場所としてであればまだしも,6ないし10mもの大きさの津波が程なくして到来することが具体的に予見される中での避難場所として適していなかったことは明らかである。

広報が聞こえているなら、学校周辺の状況がわかる教員には、三角地帯が危ないことはわかるから、三角地帯は、避難場所として適していないと判例はいいます。では、児童が授業でも登っていたという裏山はどう判断されているのでしょうか。

イ ところで,裏山は,大川小学校のすぐ南側に位置し,標高も高く,現にE教諭や河北総合支所の広報車に乗車していたKなどは,同所に避難し,難を逃れているところであり,避難場所として想定されるべき場所であることは間違いがなく,校庭に避難していた際にも,E教諭がD教頭に対して裏山に避難してはどうかと発言していたものと認められる。

これに対し、市や県の見解を判例は検討します。

ウ この点につき,被告らは,本件地震当時も,裏山の北向き斜面には残雪 があったところに,みぞれも降っていたこと,地面は足元がぬかるんでい て滑りやすく,相当に歩きにくい状況であったこと,地面が下生えに覆わ れており,狭い竹木の間の急斜面を登るのも容易ではなかったこと,頻繁 に余震が続く中で,児童と高齢者を含む100人以上もの集団で裏山の斜面を登るのは実際上極めて困難であること,を指摘して,結果回避可能性を否定する。

みぞれやぬかるみで歩きにくいこと、高齢者と一緒であることはどう判断されたのでしょうか?

しかしながら,本件地震当時は,平地に積雪はなく,みぞれや雪も積もらない程度に断続的に降るだけの天候だったのであり,裏山に積雪があったとは証拠上認められないし,裏山の地面も,冬季である本件地震当時,斜面を登るのに支障が生じるような下生えが生い茂っていたとまでは認め難い。 

次に,被告らは,狭い竹木の間の急斜面を登ることの困難をいうものの,Aルートの斜面では,過去に,3年生等の児童が,毎年3月に椎茸の原木をここまで運ぶ作業を行っていた以上,同じ3月に児童がここを登るのが 困難であったとはいえない。

また,Bルートに関しても,登り口付近は約 26度と傾斜が急で,続く斜面も傾斜が20度前後と決して緩やかではないものの,C校長のみならず3年生児童もここを経由して造成斜面に登っていた以上,避難のために登るのが困難であったとまでいうことはできない。 

さらに,被告らは,児童と高齢者を含む集団で斜面を登ることの困難をいうが,地域住民は,原則として自らの責任の下に避難の要否や方法を判断すべきものであり,教員は同住民に対する責任を負わないのに対し,児童は,これらの点を全面的に教員の判断に委ねざるを得ないことからすれば,校庭からの避難行動に当たっても,教員としては,児童らの安全を最優先に考えるべきものであって,地域住民の中に高齢者がいることは,児童らについての結果回避可能性を左右しないものというべきである。

校庭には地域の高齢者の方もいらっしゃいました。地裁判決は、教員が考えるのは、児童の安全であると述べられています。みなさんはどう考えるのでしょうか?亡くなったこどもたちが私たちに課した究極の判断の是非について書かれている部分ともいえます。続けて、

この点,余震が続く中,70名余りの児童を率い,隊列を組んで斜面を登っていくことは必ずしも容易でないことは確かであり,児童を預かる教員としては,けがなどがないように配慮せざるを得ない面が否定できないとしても,それは,平常時における話であって,現実に津波の到来が迫っており,逃げ切れるか否かで生死を分ける状況下にあっては,列を乱して各自それぞれに山を駆け上ることを含め,高所への避難を最優先すべきであり,いたずらに全体の規律ある避難に拘泥すべき状況にはなかったというべきである。

けがよりも命が優先される状況では、整列よりも各自が山に駆け上がってもよかったのではと問いかけ、「いたずらに全体の規律ある避難に拘泥すべき状況にはなかったというべきである。」という判例の言葉は重たいです。

続けて、裏山の崩落のしやすさについての言及になります。

また,被告らは,地域住民は裏山の崩壊を恐れており,津波が実際に大川小学校付近に襲来する以前の時点で予防的に大川小学校の裏山に登った住民は皆無であったとも主張するが,かかる事情が認められたとしても,そのことにより,児童の生命身体を保護すべき義務を負う教員が注意義務を免れるものということはできない。

この点,本件震災当時5年生であった児童に対する聞き取りによれば,D教頭は,釜谷地区の区長に「山に上がらせてくれ。」と言ったのに対し,同区長が反対していたのを聞いたというのであるが(甲A22の18),このようなやり取りがあったとしても,D教頭としては,区長の意見をいたずらに重視することなく,自らの判断において児童の安全を優先し,裏山への避難を決断すべきであったというべきである。

「クロスロード」という防災ゲームに出てくる題材でもありますね。地域で権威のある人が言ったこちらが安全というものと、自分の判断のどちらを優先すべきかという問題が上記に書かれてあります。

その後、判例は、裏山に逃げる時間的余裕があったか検討しています。3時30分から津波到着まで7分の時間があれば裏山に逃げられたと認定しています。

さて、次の記載も法律論ではなく、事実認定ですので、あまり議論されてこなかったように思います。みなさまはどう思われますでしょうか?

イ この点,E教諭を除く教員が,避難場所を三角地帯とした理由には明確ではないところもあるが,本件地震後の余震が続いている中で,必ずしも足場がよいわけでもない裏山に向けて児童を避難させることにより,児童がけがをするなどの事態が生じることを避け,より安全に移動することが可能で,校庭よりも比較的高い場所にある三角地帯に避難しようとしたものと考えることができる。 

しかし,津波による児童への危険性が抽象的なものにとどまる時点であればまだしも,大規模な津波が間もなく大川小学校周辺にまで押し寄せ,児童の生命身体に対する現実の危険が迫っているとの認識の下においては,裏山に避難することによって児童がけがをするかもしれないという抽象的な危険を,津波に被災するという,児童の生命身体に対する現実的,具体的な危険に優先させることはできないはずである。

こどもにケガをさせないようにしようという日常の発想が命を守るということより優先されてしまったのだとしたらそれは何故なのか、今後、考えなければいけない部分ではないでしょうか。ということで、地裁判決は、

上記の判断によれば,遅くとも午後3時30分頃までには,教員は,津波が大川小学校に襲来し,児童の生命身体が害される具体的な危険が迫っていることを予見したものであるところ,E教諭以外の教員が,児童を校庭から避難させるに当たり,裏山ではなく,三角地帯を目指して移動を行った行為には,結果を回避すべき注意義務を怠った過失が認められる。 

3時30分には裏山に逃げられたということで過失を認定しています。

長い判決文の引用におつきあいいただきありがとうございます。要旨よりは長いですが、全文より短い文章です。

実は、この記事は、書いては消しと2週間も連載をお休みにしたほどです。ただ判例を引用しているだけなのに、子どもたちのことを思うと、全く書けなくなりました。

みなさまがどのようなご意見であるかとか、どのような結論であるかに関わらず、判例の記載をじっくり読んで議論していける人が増えるといいなと思っております。原文を見て、はじめてわかることってありますから。

こんな調子で高裁判決を本当に書けるかかなり怪しいですが、応援いただければ幸いです。どんなご意見の方とも一緒に、こどもたちの悲しさと悔しさを少しでもわかちあえますように。

(了)

 

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