被爆者火葬の地に慰霊碑 諫早の知られざる史実 後世に

 諫早市の諫早被災協(清水多喜男会長)と長崎被災協・被爆二世の会・諫早(森多久男会長)が、長崎原爆直後、犠牲者を葬った同市天満町の旧火葬場跡(現在の百日紅公園)に慰霊碑を建立する計画を進めている。諫早駅から死体を運び、火葬した救護被爆者の清水会長(91)=本明町=は「諫早で知られていない史実を後世に伝える場所にしたい」と話している。
 長崎原爆戦災誌によると、同市内の病院や学校は多数の負傷者を収容し、旧火葬場では約400~500人が荼毘(だび)に付されたという。別の火葬施設が1994年に建設されたのに伴い、跡地に公園が整備されたが、原爆当時の状況を伝える看板などはない。
 同公園で犠牲者が火葬されたことを知った二世の会・諫早は2016年から年2回、公園の清掃を通して、当時の惨状を市民に伝えている活動を続けている。17日の第4回清掃には、同会と諫早子ども劇場の会員、長崎ウエスレヤン大生の計16人が参加。約2時間、雑草を抜き、木に絡まったつるを切った。同大3年の田原拓朗さん(20)は「こんなひっそりした場所で被爆者を葬っていたとは知らなかった。大学の仲間に広げていきたい」と話した。
 森会長によると、碑のデザインや場所、費用負担を関係者と調整中。設置時期は未定。

原爆直後、被爆者を火葬した跡にある公園を清掃する被爆2世や大学生、市民ら=諫早市、百日紅公園

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