「自分らしい生き方」追求、難病ALSとの闘い

もし、あなたの身体が、徐々に動かなくなったら。歩いたり、寝たり、起きたり、おしゃべりしたり、笑ったり…、そんなことが全てできなくなってしまう日が来ると宣言されたら、あなたはどうしますか? 難病ALSと闘いながら、「自分らしい生き方」を追求する二人のALS患者に話を聞きました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

原因不明・治療法未確立の難病

「一般社団法人END ALS」を立ち上げた藤田正裕さん。元上司や元同僚の皆さんと

筋萎縮性側索硬化症、略してALS(エー・エル・エス)。発症すると徐々に身体のあらゆる部位の筋肉が萎縮し、身体を動かすことはおろか、話したり笑ったり、つばを飲み込むことすらできなくなり、最終的には自力で呼吸することすら困難になる原因不明・治療法未確立の難病です。

2010年、31歳を目前にALSと診断された広告プランナーの藤田正裕(ふじた・まさひろ、通称「ヒロ」)さん(38)。彼がALSをこの世からなくすために立ち上げた団体「一般社団法人END ALS」(東京)は、ヒロさん自身が広告塔となってALS啓発や治療法確立のための活動を行ってきました。その姿は、同じようにALSと闘う患者にも、希望と勇気を与えてきました。

「ALSになっても、私は私。自分らしく生きたい」。今回、ヒロさんとゆかりのある二人のALS患者に話を聞くことができました。

「一人で夜、シクシク泣きます」。元FC岐阜社長・恩田聖敬さん

実業家の恩田聖敬(おんだ・さとし)さん(40)。2014年、35歳でALS宣告を受けた

サッカーJリーグ・FC岐阜の元代表取締役として知られる実業家の恩田聖敬(おんだ・さとし)さん(40)。恩田さんは2014年4月、35歳という若さでFC岐阜の代表取締役に就任。「故郷をサッカーで盛り上げたい」と、様々な取り組みで地元を沸かせ、メディアにも多く取り上げられました。

しかし代表取締役就任前の2013年末には、身体の違和感を覚えていたという。当時病院で脳検査などを受けるも原因は判明せず、代表就任後の5月、再度検査したところ、ALSであることが判明した。

翌2015年1月にALSであることを公表し、周囲のサポートを受けながら業務を続けてきましたが、2016年4月で取締役を退任しました。

現在は、大学の後輩だった坂田勇樹(さかた・ゆうき)さん(37)のサポートを受けながら「株式会社まんまる笑店」の社長をしています。

インタビューは、こちらが予め用意した質問をもとに進行しました。自ら話すことが難しいため、坂田さんが「あ、か、さ、た、な…」と50音を読み上げ、言いたい音で恩田さんが頷き、一文字一文字言葉を紡いでいく口文字というコミュニケーション手段で、時折笑顔を見せながら、一つひとつ、丁寧に答えてくださいました。

──代表取締役に就任し、これからという時のALS宣告。経営者として皆を引っ張っていく立場であり、たくさんの葛藤があったのでは?

恩田:新生FC岐阜に、岐阜県中が盛り上がりを見せる中、私の病気でそこに水を差したくない、という思いから、ALSを公表しないと決めました。

しかし、病状の進行は止まることなく、自由はどんどん奪われ、やるせない思いに苦しみました。

──代表取締役の退任発表の際、「やり残したことはないか」という問いに「やり残したことしかない」と答えられました。その時の思いは?

恩田:未練タラタラです。

──ALSを公表した理由は?

恩田:その方が、私らしいから。自分を好きでいられる生き方を選択すること。やれることではなく、やりたいことをやる。それが自分らしさだと思っています。

──ALSと診断されて、意識や考え方に変化はありましたか?

恩田:自分自身は、何も変わりません。
以心伝心などない。他人に対する思いのすべて、感謝、怒り、かなしみ、愛情…、すべて、言葉と態度で示さなければ、何も伝わらないのだということを、変わらず、自分の姿勢で示していきたいと思っています。

──恩田さんにとって、ALSとは?

恩田:「理不尽そのもの」です。普段は特別な思いはないですが、ひとつ思うのは、「俺、そんな悪いことしたかな?」と…。一人で夜、シクシク泣きます。

──今後、かなえたいことはありますか。

恩田:治りたいです。

27歳でALS宣告。「WITH ALS」代表、クリエイターの武藤将胤さん

武藤将胤(むとう・まさたね)さんは、2014 年、27歳でALS宣告を受けた。「NO LIMIT, YOUR LIFE」、ALSであっても自分らしく生きたいと限界に挑戦し続け、現在は「一般社団法人WITH ALS」の代表を務める

もう一人は、広告会社で働いていた27歳の時にALSと診断された、クリエイターの武藤将胤(むとう・まさたね)さん(31)。

現在は「一般社団法人WITH ALS」という団体を立ち上げ、「コミュニケーション」と「テクノロジー」を融合させるという新たな試みで、ALSを始めとするハンディキャップを抱える人々の未来を変えるために活動しています。

インタビューは、テレビ会議を通じて、私の質問に武藤さんが口頭で答えてくださるかたちで進行しました。

──ALS宣告を受けた時のことをお伺いしても良いですか。

武藤:僕の場合は、症状が出だしてから、ALSと診断されるまでに約1年かかりました。26歳の頃から徐々に症状が出始め、いろんな病院を回りましたが、ALSと診断されることはありませんでした。

インターネットで自分の症状を調べるうちに、「ALSではないか」と思うようになり、専門医がいる仙台の病院で診てもらったところ、やはりALSと診断されたので、「やっぱりそうだったんだ」という気持ちが強かったですね。

診断された時は、ショックで頭が真っ白になりました。仙台から東京に戻る2時間の新幹線の中で、「なんとか前を向いて東京へ帰ろう」と思いました。

──とても前を向こうと思える状況ではなかったのではないですか。

武藤:家族や仲間のことを考えましたし、当時の彼女、現在の妻とは結婚を考えていたタイミングでした。周りの人に心配をかけたくない、自分が少しでも前を向いて戻らなければならないという思いがありました。強がりでもいいから、なんとか前を向いて帰ろう、と。

生きるのが限られた時間だとすると、何に自分の時間や人生を費やすべきなんだろう?と考えました。そして「ALSと闘う仲間、ハンディキャップを抱えた人の未来を、テクノロジーを使って明るくすることが自分の使命なんじゃないか」と感じたんです。

仙台へは、父と一緒に行っていました。新幹線が東京に着く前に、「ALSのために活動する」と両親に宣言したのを覚えています。

──武藤さんにとって、ALSとは?

武藤:「強敵だけど絶対に逃げたくない相手」です。どれだけ自分がALSと向き合い、乗り越えていけるか。常にそのことを考えています。患者もその家族も、みんなそれぞれの立場でALSと向き合っている。

逃げても、始まらない。向き合って、先手先手でどう乗り越えていくのか、みんなと相談しながら、一歩一歩進めていけたらと思っています。

「延命を選択した日は、ALSの宣告を受けた日以上につらかった」

ALSが進行すると、自力での呼吸が困難になります。気管切開手術を受け、人工呼吸器を装着して長期的な痛みに耐えながら生き続けるか、気管切開手術を受けず、そのまま人生を終えるかの選択を迫られます。

日本では、ALS患者の7割が呼吸器装着を選ばないという現実がある中で、武藤さんは気管切開手術を受ける決断をしました。その時のことを、聞いてみました。

武藤:ALSの宣告を受けた日以上に、この手術を決めなくてはいけない日はつらかったです。延命手術を受けることで、家族に負担をかけてしまうのではないかという葛藤がありました。

でも、この手術がイコール終わりを意味しているわけではない。これは僕が、挑戦し続けていくための選択。未来に希望が持てるか否かで、選択は変わってくる。希望を信じて、メッセージを届け続けたいと思っています。

二人とも交流のあったヒロさんは“TLS”の恐怖と闘っている

2016年7月26日、ヒロさんの自宅にて。手前に写っているのが恩田さん、そしてヒロさんを挟んで、後ろに立っているのはTEAM END ALSの大木美代子さん(右)と、恩田さんの秘書の坂田勇樹さん(左)

「END ALS」の代表を務めるヒロさんは、恩田さんや武藤さんとも交流し、持ち前のあたたかさで二人を励ましていました。

恩田:ヒロさんのご自宅でお会いした時の目力を覚えています。私にとってはパイオニア的存在で、彼の周りにたくさんの仲間がいることをすごいと思いました。

武藤:ALS宣告を受け、真っ先に会いに行ったのがヒロさんです。僕にとってヒロさんは、広告業界で働く先輩であり、ALS患者としての先輩です。「チャレンジしたい」と伝えたら、「一緒にがんばろうぜ」と語りかけてくれました。背中を押してくださった大切な方です。

──ヒロさんがALS宣告を受けてから、今年で8年。

ALSは病状の進行により、大半の場合、最終的には目しか動かなくなり、それが最後のコミュニケーション手段となります。

しかしなかには、身体中の筋肉だけでなく目さえも動かなくなることもあり、その状態は”Totally Locked-in State(TLS)”、「完全な閉じ込め状態」と言われています。

「ヒロは今、まさしくTLSの恐怖と日々闘っている」と話すのは、ヒロさんの同僚であり、END ALSのメンバーである大木美代子(おおき・みよこ)さん。

「チーム一同、なんとかこの残酷な状況から1日も早くヒロを救いたい、救ってほしい。せめて脳波を活用してコミュニケーションが自由にできる機器の開発だけでも進んで欲しいと切に願っている」と話します。

ALSをこの世からなくすために。END ALSの活動と治療法確立を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)はEND ALSと1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。

「JAMMIN×END ALS」コラボアイテムを1アイテム買うごとに、700円がEND ALSへとチャリティーされ、ALSを終わらせるため、一人でも多くの人にALSを知ってもらう啓発のための活動資金と、ALSの治療法確立のための研究資金として使われます。

「JAMMIN×END ALS」1週間限定のチャリティーデザイン(ベーシックTシャツのカラーは全8色、価格は3,400円(チャリティー・税込み)。他にパーカーやマルシェバッグ、キッズ用Tシャツなども販売)。モデルは、ヒロさんの古くからの友人であるミュージシャンのJESSEさん

JAMMINがデザインしたコラボアイテムに描かれているのは「ALSの終わりを見つめる目」。治療法の確立、ALS患者やその家族の方への最良のケアを求めて、ALSがこの世からなくなる日まで、闘い続けるEND ALSの活動を、コラボアイテムを着て一緒に応援してください。

チャリティーアイテムの販売期間は、6月18日~6月24日までの1週間。チャリティーアイテムはJAMMINホームページより購入できます。

JAMMINの特集ページでは、END ALSの活動、そして恩田さん、武藤さんへのインタビューをより詳しく掲載しています。こちらもあわせて、チェックしてくださいね。

手足だけでなく身体中の自由を奪い、コミュニケーションの自由までも奪う難病「ALS 」を、この世からなくす日まで〜一般社団法人END ALS

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしています。2018年3月で、チャリティー累計額が2,000万円を突破しました!

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