【MLB】「あのネクタイは額に入れてある」―元マーリンズGMが語るイチローとの日々

ロースターを外れ、会長付特別補佐に就任したイチロー【写真:Getty Images】

元GMであり監督のダン・ジェニングス氏が回顧「特別な思い出」

 6月中旬の蒸し暑いある日。フロリダ州北部にあるマーリンズ傘下2Aジャクソンビルの本拠地球場バックネット裏には、いつもと変わらず各球団のスカウトがプレーの1つ1つに厳しい目を光らせていた。そんな熟練のスカウトの中に、見覚えのある顔があった。2015年途中からマーリンズで監督代行として指揮を執ったダン・ジェニングス氏だ。2016年1月からナショナルズのGM補佐に就任して以来、時間が許す限り、自身の原点でもあるスカウト活動に出掛けているという。

「私がレッズにスカウトとして採用されたのが1986年だから、メジャーに足を踏み入れて33年目になる。やはり野球は目で見ないとね」

 そう話すジェニングス氏の手にはスピードガンとストップウォッチが握られ、手元のメモには自分の目で見た選手の特徴が書き込まれていた。「とにかく野球が好きなんだ。球場にいる時間が一番幸せ」と、57歳を迎えても目の輝きは失われない。そんなジェニングス氏ですら「彼の野球に対する思いや姿勢は特別なもの」と一目を置くのが、現在マリナーズ会長付特別補佐となったイチローだ。「GMとしてイチと契約し、監督としてイチと戦ったマーリンズでの日々は、特別な思い出として胸に刻まれているよ」と目を細める。

 2015年1月。前年終了後にヤンキースからフリーエージェント(FA)となっていたイチローが、マーリンズと契約を結んだことは驚きのニュースとして伝えられた。本拠地マイアミは地理的にもラテン系ファンが多く、選手も必然とラテン系が多かった。当時、日本人選手が所属したことのなかった球団が、マーリンズとレッズの2球団だけ。「当時、外野で空いていたのは4番目=控えの役割だったし、まさか彼が来てくれるとは思わなかった」と振り返る。

インタビューに応じたダン・ジェニングス氏【写真:佐藤直子】

思い出のネクタイを返却しようと打診するも…

「イチの代理人を務めるジョン・ボッグスから打診があった時は、何度も確認したんだ。4番手だけどいいのか?って。その時点ですでに素晴らしいキャリアを積み上げていたしね。だけど、私がマリナーズのスカウトだったこともあり、パット・ギリックス元GMやルー・ピネラ元監督からイチの素晴らしさを繰り返し聞かされていたことも事実。それで実際に本人に会ってみようと、首脳陣で揃って日本を訪れたわけだが、その人柄にすぐに惹かれてしまったんだ」

 イチローの野球に対する姿勢や思いを存分に知ることができたと同時に、遠路はるばるやってきた来訪者に対する細やかなもてなしの心や、ぎこちなくなりかねない初対面の場を和ませるユーモアセンスにも触れた。イチローはその後3年をマーリンズの一員として過ごしたが、ジェニングス氏が「契約は間違っていなかった」と実感するまで時間はかからなかったという。

「クリスチャン・イエリッチ、マルセル・オズナ、ジャンカルロ・スタントン、ディー・ゴードン……彼らはイチを大歓迎し、少しでも知恵と経験を学ぼうと懸命になった。イチが試合に向けて行う準備の入念さを知らない人はいないと思うが、実際に目の当たりにすると感嘆の声しかあがらない。しかも、毎日だ。先発出場しないと分かっていても、同じ準備を繰り返す。何があっても変わらぬ姿勢は、期待の若手からチームの中心選手に成長する過程にあった選手たちにとって、最上級のお手本になったはずだ」

 今季から6年ぶりにマリナーズに復帰したイチローは、5月に選手から会長付特別補佐に立場を変えた。その時、イチローの携帯にショートメールを送ったというジェニングス氏は、まずは「おめでとう」と伝えたという。

「マリナーズにとってもイチにとっても素晴らしい選択だと思った。だから『フロントオフィス入り、おめでとう』ってメッセージを送ったんだ。フロントと言えばユニホームではなくスーツ組。だから『君からあの時もらったネクタイを返した方がいいかな?』と聞いたら、『その必要はありません。来年にはまたプレーしますよ』って返事が届いたんだ。

 2019年にマリナーズは開幕シリーズを日本で迎えるそうだね。そこにしっかり焦点を当てて、プレーする準備を進めるようだ。イチ、日本のファン、マリナーズにとって、これほどパーフェクトなことはない。私も日本まで見に行きたいくらいだ」

話しても話しても尽きることがないイチローとの思い出

 あの時もらったネクタイ――。それは2015年5月18日に行われた本拠地ダイヤモンドバックス戦でのことだった。成績不振に伴い、電撃解任されたマイク・レドモンド監督に代わり、この日から監督代行となったのが、直前までGMだったジェニングス氏だった。異例の人事は大きな話題を呼んだが、試合前のダグアウトで慣れないユニホーム姿に緊張の面持ちを隠せなかったジェニングス氏の元へ歩み寄ったイチローは、おもむろに球団カラーのオレンジのネクタイを首に掛ると、大きな笑顔でハイタッチをした。

「あの時の心遣いも深く心に沁みたよ。あのネクタイは私の宝物。額に入れて家に飾ってあるから、まぁ、返してほしいって言われても返すつもりはなかったけどね(笑)」

 同年のシーズン最終戦。今度はジェニングス氏がイチローに粋な計らいを見せた。敵地フィリーズ戦で“投手イチロー”がメジャーデビューしたのだ。

「イチが投げたがっていたのは知っていたから、よしやってみようってね(笑)。彼に伝えたら『本当ですか!?』ってビックリしていたけど、すぐに『分かりました』って満面の笑みを浮かべていたよ。慣れない監督をやり遂げたのも、イチを中心にチームがまとまってくれたから。それぞれ別の球団に旅立った今でも、みんなと連絡を取り合っている。私の野球人生で特別な時間になったよ」

 イチローとの思い出は、話しても話しても尽きることがない。背番号51と過ごした日々は、額装されたネクタイとともに、いつまでもジェニング氏の宝物として輝き続ける。

(Full-Count編集部)

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