がんばれ日本代表!元代表の釜本氏は国会議員だった。サッカー出身政治家まとめ

初戦を迎えたサッカー日本代表。第二戦にも注目が集まります。連日報道されているサッカー選手ですが、実は選手の中には、第2の人生として政治家を選んだ方も多数います。

今回は政治家となった6人の元サッカー選手をご紹介します。今回選ばれた23名の日本代表からも、将来の政治家が生まれるかもしれませんね。

釜本邦茂(かまもと くにしげ)氏 74歳。元日本代表・ヤンマー

釜本邦茂氏は現役時代、日本サッカーリーグに251試合出場。歴代1位となる通算202得点、79アシストを記録し、得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞と大活躍しました。また、日本代表としては国際Aマッチ76試合75得点を記録。1968年のメキシコ五輪ではアジア人初の得点王となりました。

政治家としては、1995年の第17回参院選で、比例区から自民党公認候補として立候補し初当選しました。2000年の第2次森内閣では労働政務次官に就任するも、2001年の第19回参院選で落選後、政界を引退しました。

森正明(もり まさあき)氏 56歳。元日本代表・ベルマーレ平塚など

森正明氏は大学卒業後、フジタ工業サッカー部に入団。1988年にサッカー日本代表となり以降、国際試合33試合に出場。1990年にはW杯イタリア大会アジア予選に出場しています。1994年にベルマーレ平塚に加入し、Jリーグ昇格に貢献しました。

政治家としては、1999年の神奈川県議会議員選挙で、自民党公認候補として立候補し、28,312票を得て初当選します。その後は現在まで5回連続でトップ当選し、2016年には神奈川県議会議長に就任しています。

田口禎則(たぐち よしのり)氏 52歳。元日本代表・浦和レッズなど

田口禎則氏は大学卒業後、横浜フリューゲルスの前身となる全日空サッカークラブへ加入。その後はサンフレッチェ広島、浦和レッドダイヤモンズを経て1998年に引退しています。

政治家としては、1999年の浦和市議会議員選挙に無所属で立候補しトップで初当選。2001年のさいたま市発足にともない、さいたま市議会議員となりました。その後、2003年の埼玉県議会議員選挙では、南11区から無所属で立候補し初当選しています。また、2009年のさいたま市長選挙では、無所属での立候補を検討するも断念しています。

梅山修(うめやま おさむ)氏 44歳。湘南ベルマーレなど

梅山修氏は1994年にアビスパ福岡の前身となる中央防犯サッカー部に移籍しプロとなり、1995年にはベストイレブンに入る活躍を見せます。1998年にFC東京の前進となる東京ガスフットボールクラブに移籍。その後はヴェルディ川崎や湘南ベルマーレ、アルビレックス新潟を経て2006年に引退しました。

政治家としては、2007年の新潟市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選します。2011年の同選挙でも再選しましたが、3回目の挑戦となった2015年には次点で落選しました。

友近聡朗(ともちか としろう)氏 43歳。愛媛FCなど

友近聡朗氏は大学を卒業後ドイツに留学し、1999年にSVGゲッティンゲン、2000年にトゥスポ・バルタウに加入。2001年に愛媛FCに入団し、JFL優勝やJ2昇格に貢献。2007年に現役を引退しました。

政治家としては、2007年の第21回参院選で、愛媛県選挙区から民主党や社民党などの推薦を受け無所属で立候補し、初当選します。その後は民主党や国民の生活が第一への入党を経て、2012年の第46回衆院選で、愛媛2区から日本未来の党公認候補として立候補するも落選しました。

都築龍太(つづき りょうた)氏 40歳。元日本代表・ガンバ大阪・浦和レッズなど

都築龍太氏は1997年にガンバ大阪に入団。2000年にはシドニー五輪代表に選出されました。2003年に浦和レッドダイヤモンズに移籍します。その後、2010年に湘南ベルマーレに期限付きで移籍し、2011年に引退しました。

政治家としては、2011年の埼玉県議会議員選挙で、さいたま市緑区から無所属で立候補するも落選。2015年のさいたま市議会議員選挙では、緑区選挙区から自民党公認候補として立候補し、初当選を果たしました。

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