【建設資材販売会社・コムテックス きょう創業200周年】〈小林正明社長に聞く〉「旧(ふる)きが故に尊からず」を社是に、改善改革を継続

地縁や顧客に恵まれ発展

©株式会社鉄鋼新聞社

株式会社設立60周年

 群馬県で鋼材などを扱う有力建設資材販売会社、コムテックス(本社・群馬県高崎市問屋町、社長・小林正明氏)はきょう6月20日、創業200周年と株式会社設立60周年を迎えた。金物商から商いを始め、現在は一般鋼材など建設資材を販売するほか、建築・土木専門工事も手掛ける。「旧(ふる)きが故に尊からず」の社是を成功体験にこだわらず、常に改善、改革に向かうことと捉えて実践してきた同社の8代目、小林正明社長に節目を迎えた思いとこれまでの足跡、今後の展望を聞いた。(新谷 晃成)

――江戸時代後期に創業してから200年、株式会社化してから60年を迎えた。今の気持ちをうかがいたい。

 「創業200周年といって個人的には特に感慨はない。それは私がこの会社を200年間経営してきたわけでもなく、ただ一生懸命に家業に専念していたところ、気付けば迎えていたという気持ちだということ。200周年を意識したのも10年前の190周年からで、それまでは頭の片隅にもなかったのが正直なところだ」

――長年にわたって事業継続できた秘訣は。

 「秘訣はこれといってない。何の変哲も無い金物屋に200年もの事業継続が許された環境を考えれば、結果的として、まずは多くの幸運に恵まれたことを挙げねばならない。また、多くの関係者、特に地元のお客様に支えられたことも言うまでもない。さらに当たり前の話だが、当社の先人達が誠実に目の前の仕事に取り組んで来た努力も一因であろう」

――具体的にはどのような商売を展開されたのか。

 「江戸時代末期は商人繁栄の時代であったし、明治維新以来、鉄は常に売り手市場だった。経営者が特に優秀でなくても、真面目に家業に取り組んでいれば番頭以下のスタッフで店は十分に回った。また高崎という経済力のある地方都市に会社があったことも幸運だった。これが零落したような地方都市では、なかなか家業の継続は困難であったろうし、逆に、東京や大阪の大都市部にあっては時代の変遷も競争も激しく、ここまで継続できたかは疑問だ」

――世の中がバブル景気で沸いたときにも足をすくわれることなく、堅実な経営を貫いてきた。

 「昭和のバブル期がそうであったが、世の中が好景気に沸騰している時には必ず当社は問題点を抱え込んでおり、世間の『イケイケ・ムード』とはほど遠い状況に置かれていた。それで『大勝負』にでなかった結果、大きな傷を負わずに済んだとも言える。これは小林家に代々伝わる、ある種の自動安定装置(ビルトイン・スタビライザー)だと思っている」

――小林社長自身は東京大学経済学部を卒業後、住友商事で国内外を舞台に鉄鋼営業を経験して小松総業(現コムテックス)に入った。

 「30歳を過ぎたばかりの昭和59年(1984年)2月1日に当時の小松総業に出社したが、当社の財務内容、市場シェアは惨たんたる状態にあり、率直に申し上げて、商社を退社して高崎に引き上げて来たことを後悔した。ただ、後戻りできるわけでもなく、やむなくまずは社内整備に着手し、翌年6月期は8千万円の赤字決算を強行し、滞留債権ほか、従来からの膿を一掃した。メーンバンクの支店長に過激な決算について自重を促される場面すらあった。さらに社員の意識改革、社内決算システム、社内書類整備に着手したが、折しもバブル経済の時期と重なり、営業にエネルギーを注がずとも売上高、粗利高の確保は容易だったため、社内整備に注力できたことは実に幸運だった」

 「土木専門工事の地方自治体からの元請けを含め、建築・土木専門工事では、多くの現場を手掛けてきた。その技術力を評価されて自治体からの表彰も多い。工事の幅を広げて質の向上を図るため、社員の資格取得を後押ししている。私自身も4年前に1級建築士に合格し、1級建築士事務所としての登録も果たした」

――足元の業況は。

 「『2020年までに売上高40億円、粗利高4億円』という中期目標は過去にもクリアしている。直近の業績としては、大型物件に恵まれたこの第60期(18年6月期)業績予測でもこれをクリアしている。当面の目標としては、この数字を安定的、継続的にクリアできる企業体質の構築を目指す」

〝建材・金物問屋〟の基本商売大切に

――今後の経営課題や注力すべき点は何か。

 「年度によって30億円張り付きから40億円超と、実に売上高と粗利益高の乱高下に翻弄(ほんろう)される収益構造となっている。これも大型物件に恵まれるか否かで業績が大きく動く『プロジェクト依存型』の体質となりつつあるからだ。やはり『建材問屋・金物問屋』としては、毎日コツコツと『釘・針金・ナマコ板(波板)』に代表される日々の金物を顧客にお納めすることが問屋機能の基本であり、この基本に立ち返るべく社内教育に努力している途上だ」

――この先の展望をうかがいたい。

 「今後も従来通り、当たり前の仕事を当たり前にこなすのみだ。特別なことを考えているわけでもなく、次の目標とする周年記念も考えていない。商いとは『ゴールのない駅伝』のようなもの。私が担当する区間は『区間新記録』など望むべくもなく、ただただ次の世代に負の遺産を残さぬように、そこそこの体制を固めた上で、後継者に当社を託したい。あえてひと言加えるならば、取引先の皆さまには『もう200周年ほどお付き合いを』とお願いしたい」

小松屋からコムテックスへ/金物屋から建材問屋に脱皮し発展/「当社ですべてが完結する〝OneStop〟サービス提供」

 江戸と京都を結ぶ中山道と、越後(現新潟県)へ向かう三国街道が分岐する交通の要衝として栄え、現在も群馬県経済の中心として発展する高崎市。コムテックスは化政文化が華やかりし江戸時代後期の1818年(文政元年)に、初代の小林三太夫氏がこの地で鉄を商う金物(鋳物)製造販売業「小松屋」としてのれんを掲げた。

 明治時代に入り、76年(明9)には4代目のりん八郎氏が市内の歌川町から九蔵町に店を移し、金物販売に一本化。大正を経て昭和初期の1935年(昭10)には「合資会社小松屋銅鉄店」を設立し、釘や針金、鍋、やかん、釜など家庭用金物を取り扱った。

 60年前の58年(昭33)7月には「株式会社小松屋銅鉄店」に会社種別を変更し、小林正明社長の父で7代目の一雄氏が社長に就任。小林社長は「敗戦後の混乱の中で、鉄鋼メーカーの研究所に勤務していた先代の父が、祖母きみの経営する金物屋を助けるためにUターン帰郷し、従来の鍋・釜・包丁の金物屋から建設資材を取り扱う建材問屋に脱皮させたところから当社の近代化が始まった」と振り返る。「朝鮮戦争による特需、高度成長期という『追い風』もあったが、先代が先見性をもって商いに臨んだ成果だ」と評価する。

 時代の背景もあり、昭和30年代初めには当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の新社屋を建設したが、休む間もなく66年(昭41)7月には日本初となる卸商業団地「高崎問屋街」の建設に参画し、新社屋を建築して移転した。

 主となる取扱商品を家庭用金物から建設資材にシフトした昭和40年代以降、形鋼や鋼板といった一般鋼材をはじめとして、屋根材や作業工具など建設現場に求められるあらゆる商品を取りそろえるようになった。72年(昭47)には商号を「小松総業」に変更。同50年代には新たに道路や橋梁、法面、護岸、地盤改良などに用いられる土木建材も手掛けるようになった。

 昭和のバブル景気以降には、現社長の正明氏が中心となって建築専門工事の受注を展開。鉄筋・鉄骨工事、鋼製床版工事、屋根・外壁工事など建築ではゼネコンの一次下請けとして、土木工事では元請けとして数多くの現場を手掛け、自治体から表彰を受けるまでに至った。

 2003年3月には正明氏が社長に就任。10年後の13年には屋号の「小松」と「テクノロジー(技術)」の融合を表す新しい商号として「コムテックス」を制定。社員の意識を一変させる契機にもなった。小林社長は「顧客ニーズに全方位で応え、当社ですべてが完結するような〝One Stop〟でのサービス提供を心掛けている」と経営方針を語る。