1984年甲子園決勝 取手二-PL学園

県勢、初の全国制覇 中島が桑田から決勝弾

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全国制覇を果たし、宿舎で記念写真に納まる取手二ナイン=1984年8月21日

県勢初の全国制覇となった第66回(1984年)決勝の取手二8-4PL学園(大阪)が2番目の32票を集めた。

取手二は県大会を難なく制したものの、エース石田文樹の右肩の調子が戻らぬまま甲子園に入った。

だが、初戦が大会6日目だったことが奏功した。石田の調子が上がり、後にプロ入りする2投手を擁する箕島(和歌山)との2回戦を0-3から逆転勝ちすると、勢いに乗って一気に県勢初の決勝まで勝ち進んだ。

決勝の相手は、前年に1年生ながら全国制覇に貢献した桑田真澄と清原和博を擁するPL学園だった。

先制しリードを広げ逃げ切りを図ったが、土壇場九回に追い付かれた。なおもサヨナラのピンチを迎えたが、柏葉勝己をワンポイントリリーフさせ、再び石田をマウンドに戻す木内采配。相手に移りかけた流れを食い止めた。

すると延長十回1死一、二塁から、5番中島彰一が桑田の高めの直球を強引に振り抜き、打球は左中間スタンドへ。さらに1点を加え、その裏を石田が抑え、深紅の優勝旗を勝ち取った。

筑波・田嶋一彦監督は「中島選手の決勝ホームランによる勝利はあまりにも劇的だった」、東風・桜庭裕也監督は「あの3ランは感動的だった」、藤代・菊地一郎監督も「3ランに興奮した」とそれぞれ振り返った。

県勢初の優勝。日立一・中山顕監督は「あの桑田、清原を擁するPLを茨城代表が破った。しかも決勝で。あれ以上の衝撃はない」。その劇的な試合に三塁手として出場していた土浦日大・小菅勲監督も「公立校が当時最強のPLに勝った」ことに価値を見いだした。

さらに中学3年だった佐竹・坂本泰彦監督は「高校野球の素晴らしさを感じた。自分も絶対に甲子園に行くんだと思った」、茨城キリスト・中田裕二監督も「私自身と同学年。自分たちの代表校が全国優勝した感動は忘れられない」とそれぞれ回想。当時高校1年だった牛久栄進・吉井宏之監督は取手二と練習試合をしたことを思い出し、「二つ上がとても大人に見えた。豪快な野球だった」と記した。

取手二以前の県勢は3回戦が最高成績。それ以降は優勝1回、準優勝1回、4強1回、8強4回。県勢にとって転機となった大会だった。