ドラマのようだった今年のルマン24時間 トヨタが20度目の挑戦で悲願の総合初優勝

ルマン24時間を制して、喜ぶトヨタのドライバー。左から、アロンソ、中嶋一貴、セバスチャン・ブエミ=TOYOTA GAZOO Racing

 日本人が乗る日本チームの日本車による総合優勝。日本のモータースポーツ界にとって、いわば悲願と言うべきことが、ついに実現した。舞台は、世界三大レースに数えられる伝統の自動車耐久レース、ルマン24時間だ。

 古くは米映画「栄光のル・マン」(1971年公開)で、米俳優の故スティーブ・マックイーンが主役のドライバーを演じた。この映画と、その2年前に公開された石原裕次郎主演の日本映画「栄光への5000キロ」によって、日本のモータースポーツに空前のブームが巻き起こった。

 あれから50年近く。日本車と日本人ドライバーが世界最高峰のレースで勝利するという、当時は「夢物語」だったことを次々と現実のものとしている。昨年は、同じく世界三大レースで米国モータースポーツの最高峰に位置するインディアナポリス500マイル(インディ500)を佐藤琢磨が日本人で初めて制した。そして、6月17日にゴールを迎えた今回のルマン24時間では、20度目の参戦となった日本車トヨタのマシンに乗った中嶋一貴がチェッカーフラッグを受け、総合優勝を果たしたのだ。

 トヨタがルマン24時間に初めて挑んだのは、1985年のことだった。その時、ハンドルを握ったのが中嶋悟。日本人初のF1正ドライバーで、一貴の父だ。そして、一貴が生まれたのも85年。その一貴が24時間という長丁場レースのゴールを迎えるマシンに乗っていた。まるで、ドラマのようだ。

 今回、現役のF1ドライバーで世界三大レース制覇を狙うフェルナンド・アロンソがトヨタに参加した。2005年から2年連続でF1の総合王者に輝き、世界三大レースのF1モナコ・グランプリをすでに制しているビッグネームゆえに、注目が集まった。だが、忘れてならないのは、中嶋親子であり、諦めることなく挑戦し続けてきたトヨタなのだ。

 トヨタは87年、日本を代表するコンストラクター「童夢」の活動を引き継ぎ、ワークス体制を組んだ。70年代から挑戦していたマツダや86年から参加を始めた日産がいたこともあって、80年代後半から90年代前半にかけて、日本の自動車メーカーによるルマン挑戦がブームになった。そして、91年にマツダが総合優勝を果たす。しかし、その後は日本車が勝つことはなく、各メーカーはルマン24時間から撤退したり、参戦規模を縮小していった。

 そんな日本車メーカーの不遇の時代が長く続いたあとの2012年。09年でF1での活動を終えていたトヨタが、ルマン参戦プロジェクトを復活させた。時代を先取りしたハイブリッド車(HV)による挑戦だった。あれから6年、ついに歓喜の瞬間がやってきた。

 トヨタが持ち込んだHVはその後、アウディやポルシェも採用し、20年に予定されている新たなトップカテゴリーでも採用される予定だ。レースや技術というものは常に進化する。これはレースに限らないが、世の中の進化に追いつくだけでなく、次世代の新たな標準を提案することも、これからの日本企業には求められる。それを一足先に実現したトヨタがルマン24時間で初の総合優勝を成し遂げた。次の50年に向けて、トヨタに続く日本企業が挑戦する姿を世界で見てみたいものだ。(モータージャーナリスト。田口浩次)

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