この夏、第100回記念大会を迎える全国高校野球選手権、その舞台となる甲子園を目指した各地方大会からは、これまで数多くの名勝負、ドラマが生まれた。大逆転、無安打無得点試合、ノーシードからの快進撃-。現役の指導者や関係者、読者らの意見を基に、長崎大会の熱戦の歴史を振り返る。
◎1992年決勝 佐世保実3-2長崎商/村田軸にサヨナラ勝ち
佐世保実が1点を追う九回、主将の村田善則の内野安打と二盗を足掛かりに逆転サヨナラ勝ち。勢いに乗って臨んだ甲子園では、常総学院(茨城)に4-3で競り勝ち、県勢の夏の連敗を「7」で止めた。村田の弟、金彦も2004年、主将としてチームを甲子園に導いている。
◎1993年決勝 長崎日大5-4波佐見/春夏連続出場
前年に続き、この年も長崎日大が九回に劇的な逆転サヨナラ勝ち。1点を追う九回2死二、三塁から、川下友久が2点適時打を放った。エース中村隼人を軸にしたこのチームは、これで春夏連続甲子園出場を達成。平成最多の長崎大会優勝を誇る長崎日大が、春夏ともに初めて全国切符をつかんだ年でもあった。夏の松商学園(長野)戦では、攻撃中に3重殺を喫する珍プレーもあった。
◎1994年準決勝 長崎北陽台3-1長崎南山/青い旋風 席巻
長崎北陽台が七回にスクイズ(野選)で追いつくと、続く好機でのスクイズは失敗したが、三本間での挟殺プレーで送球が三走の背中に当たって勝ち越した。エース松尾洋和が大黒柱だったチームは初の甲子園で県勢18年ぶりの8強入り。ユニホームの色にちなみ「青い旋風」と呼ばれた。
◎1996年決勝 波佐見3-2長崎日大/ピンチしのぎ悲願
得永祥男部長が率いた波佐見が93、95年決勝で敗れていた的野和男監督の長崎日大に雪辱して甲子園初出場。九回裏1死満塁の逆転サヨナラのピンチで、エース林史敬が後続を併殺に仕留めた。全国でも8強入りした。
◎1999年決勝 長崎日大2-0海星/二枚看板躍動
長崎日大の崎田忠寛、山中俊介の右の二枚看板が、海星打線を3安打に抑える完封リレー。海星は1年生左腕の松永浩典が救援で力投した。長崎日大は3季連続の甲子園出場で日大三(東京)、明徳義塾(高知)を倒した。崎田、山中の2人をリードした2年生の山内徹也は、翌年も強肩強打の攻守の要として夏の長崎大会V3に貢献した。
ここに挙げた試合はあくまでも一部で、ほかにも数え切れないほどの名勝負があった。阪神で最多勝を獲得した瓊浦の下柳剛、ロッテで強打を誇った海星の堀幸一、ソフトバンクで現役でプレーする佐世保実の川島慶三ら、高校卒業後も活躍を続けた好選手も多数いた。
そんな歴史を積み重ねてきた夏の100回目の大会。球児たちはどんなプレーを見せてくれるか。新しく生まれる筋書きのない熱闘ドラマが期待される。(敬称略)