ディディエ・ロックウッドを偲んで

ディディエ・ロックウッドがステファン・グラッペリに捧げたアルバム

 少し前のことになるが、今年2月18日にフランスのジャズヴァイオリニスト、ディディエ・ロックウッドが亡くなった。日本での知名度こそさほど高くないが、20年以上にわたり、世界的なスターとして活躍してきた名手中の名手だ。前日もパリでステージに立っていたというが、心臓発作のため62歳で突然世を去ってしまった。マクロン大統領やニセン文化相も哀悼の意をツイートしたと言えば、本国での位置が分かるだろう。パリ郊外で毎年開催されている音楽祭「フェスティバル・ジャズ・ミュゼット・デ・ピュス」は、主催者の一人でもあった彼の功績をたたえて「フェスティヴァル・ディディエ・ロックウッド」と改名された。

 筆者は長年、彼の演奏に刺激を受けてきた。個人的な思いも交えながら、この巨匠がわれわれに聞かせてくれたさまざまな音楽を振り返ってみたい。

 ロックウッドという名字はあまりフランスらしくないと思われるかもしれない。それもそのはずで、スコットランドに家族のルーツがあるようだ。生まれたのは、英仏海峡に面したカレー。父はヴァイオリン教師だった。幼少時からクラシックをみっちり勉強し、演奏と作曲の両方で優秀な成績を収めていたが、兄フランシスを通じてジャズやロック、ブルースにも惹かれるようになった。ジャズではマイルス・デイヴィス(トランペット)、ジョン・コルトレーン(テナーサックス)アルバート・アイラー(同)、ジャン=リュック・ポンティ(ヴァイオリン)、ロックではジミ・ヘンドリックス(ギター)、フランク・ザッパ(作曲、ギター)の影響を受けたという。そして17歳のとき、フランスの有名なプログレッシヴロック・グループ「マグマ」に加入する。ここでのロックウッドは、ジミヘンのギターを思わせるような激しい演奏を展開し、時に打ち付けるような、時に切り裂くような音でバンドに強烈な色彩を与えている。

 20歳になったとき、彼にとっての「精神上の父」が現れる。ジャズヴァイオリンの草分けであり、華やかで洗練された演奏を持ち味とするステファン・グラッペリ。戦前から活躍する大ベテランであり、ギタリストのジャンゴ・ラインハルトと「フランスホットクラブ五重奏団」を組んで「ジプシージャズ」、あるいは「マヌーシュスイング」とよばれるスタイルを確立した。昔も今も、一番有名なジャズヴァイオリニストは誰かと問われれば、常に彼の名前が挙がるだろう。

 そんな大物が若いロックウッドの可能性を見抜き、自分のツアーに同行させて彼の成長に手を貸した。グラッペリの音楽はロックやマイルス、コルトレーンのジャズと対極にあるが、ロックウッドはその二つを自分の中で消化し、融和させていった。これは口で言うのこそ簡単だが、常人には及びもつかぬ至難の業で、ふんわりとしたグラッペリ節を弾いていたと思ったら、その続きがいとも自然に現代ジャズのアグレッシヴなフレーズに変身する瞬間など、何度聴いても魔術のようだ。

 ロックウッドの強みは、そのように柔と剛を兼ね備える点なのだが、音色においても多彩なパレットを持ち、豊かなふくらみのある音から、かすれ声のような小さな音まで自由自在に使い分ける。特に後者は、枯れた味の中になんともいえないセンチメンタリズムをたたえ、聴く人に耳を傾けさせる力がある。

 2013年の11月、川崎市で開かれた「モントルー・ジャズ・ファスティバル・イン・かわさき」のプログラムで、筆者は初めてロックウッドの演奏を生で聴いた。アコーディオンのリシャール・ガリアーノ、ギターのビレリ・ラグレーンとのトリオという編成だった。ラグレーンの出発点はジプシージャズで、少年のころから「ジャンゴの再来」と騒がれたが、その枠にとどまることなく成長を続け、フュージョンの世界でも成功を収めた天才的プレイヤー。順序こそ異なるが、ロックウッドの音楽遍歴と重なる部分が多い。ガリアーノもタンゴやジャズをはじめ幅広い音楽を演奏する。丁々発止のやりとりを交わすステージは、一瞬のうちに景色が変わってしまうような流動性があり、あらためてロックウッドの素晴らしさに感嘆したのを覚えている。

 まだ何回でも聴く機会があると思っていたのに、突然の死でその期待はかなわぬことになってしまった。しかしこれからも、手元にある10枚ほどのCDを聴き、ネット上に公開されている映像を見ることで、ロックウッドの音楽を長く楽しんでいきたいと思う。 (松本泰樹・47NEWSエンタメ編集デスク)

© 一般社団法人共同通信社