メクル第283号 雲仙・普賢岳噴火災害 復興の歴史学ぶ 南島原・大野木場小

 南島原市深江(ふかえ)町の市立大野木場(おおのこば)小(大草修三(おおくさしゅうぞう)校長、124人)の5年生21人が6月6日、1991年に雲仙(うんぜん)・普賢岳噴火災害(ふげんだけふんかさいがい)の火砕流(かさいりゅう)で焼失した旧校舎(きゅうこうしゃ)などを見学しました。
 5年生を対象に19年前から実施(じっし)している災害学習で、学んだことは旧校舎が焼失した9月15日(メモリアルデー)に毎年発表します。今年は前日の同14日にするそうです。
 この日は国土交通省雲仙復興事務所調査課(ふっこうじむしょちょうさか)の森夢乃(もりゆの)さんが先生役を務(つと)めました。昔、先輩(せんぱい)たちが通った旧校舎のほか、1991年6月3日の大火砕流で犠牲(ぎせい)になった消防団員(しょうぼうだんいん)らが詰(つ)めていた北上木場農業研修(けんしゅう)所跡(あと)、報道(ほうどう)関係者の取材拠点(きょてん)だった「定点」などを見て回りました。
 大野木場砂防監視(さぼうかんし)所(大野木場砂防みらい館)では、噴火災害の恐(おそ)ろしさや復興の歴史について学び、水無(みずなし)川上流で進められている無人化工事の遠隔操作(えんかくそうさ)室も見学しました。
 水島和香(みずしまわこ)さん(10)は「農業研修所跡や定点は初めてきた。災害のことがくわしく分かったので、9月に学校や地域(ちいき)の人に伝えたい」と話しました。

火砕流の恐ろしさを学ぶ大野木場小の5年生=島原市北上木場町、北上木場農業研修所跡付近

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