毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言

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 「安か油」を購入したのが全ての始まりだった。
 1968(昭和43)年春。当時29歳の松本正江(79)=仮名=は、長崎県五島市内の小集落に、漁師の夫と3人息子の家族5人で暮らしていた。巻き網船に乗る夫は海に出ている期間が長く、正江は子育ての傍ら、1人で畑を耕し、野菜を育てた。近くに住む義父母の食事作りも役目だった。
 そのころ、商店を営む親戚から格安で食用油を購入した。「一升瓶10本が入る木箱を3ケース。1本当たり30円安かった」。裕福とは言えない生活。油は日本酒や焼酎の空き瓶に移し替えられていて、どんな会社の油か分からなかったが、安価なのは助かった。
 「あんたのとこ安か油のあっとね。分けてくれんかな」。すぐにうわさが広まった。正江は親戚や近所の人に油を配った。
 「どうも変な油だった」。加熱するとブクブクと泡が出る。ねっとりして、すり身や天ぷらがカラッと揚がらない。「おかしい」と話題になった。正江は近くの店で別の油を買い、混ぜて使った。結局、義父母を含め、家族で一升瓶3本分の油を消費した。
 その年の夏。家族と義父母の体に、大小さまざまな吹き出物ができた。正江は首やふくらはぎ、夫は背中、子どもたちは頭皮に強く症状が現れた。頭痛、腹痛、手足のしびれに襲われ血尿も。慌てて息子たちを病院に連れて行ったが、飲み薬と塗り薬を処方されただけだった。
 数カ月後、通っていた病院の医師が言った。「あなたたちはカネミライスオイルを食べていないか」。医師によると「毒の入った油」が五島で出回っているという。言われるまま、役場で子どもと検診を受けたが原因は不明。症状に苦しみながら歳月が流れた。
 検診を5、6回受診した後の75(昭和50)年、息子3人は「カネミ油症」と認定された。油を食べて7年。正江はあの油が原因だったとようやく理解した。
 夫は漁が忙しく検診を受けていなかったが、弁当には頻繁にすり身揚げや天ぷらなどの揚げ物を入れていて、家族で最も多く油を食べているはずだった。「お父さんも受けたら」。検診を勧めると、夫は突然怒鳴った。「おまえがそがん油を買うけん悪か!」。普段は温厚な夫の怒りに、正江は動揺した。
 「買った私が悪か。でも悪い油と知って食べさせたんじゃない。ごめんね、許して」。正江は畑で一人泣いた。毒入りの家庭料理を食べさせ続けた悔恨。妻として母として、気が狂いそうだった。
 ◇  ◇  ◇
 正江が、家族とカネミライスオイルを食べてから8年がたった1976(昭和51)年、検診を渋っていた漁師の夫を何とか説得。翌年、夫は正江と共に油症認定された。
 夫は高血圧症を患い、薬を手放せなくなっていたが、弱音をはかない性格。頭痛や下痢でつらくても、生活のため漁に出ていた。夫の背中は、大きい吹き出物が無数にあり、肌着は膿(うみ)でいつも黄色く汚れていた。
 次男は、症状が重かった。小学生のころは朝布団から起き上がれないほど。体を抱えてトイレに連れて行くと、血の混じった尿が出た。入退院を繰り返し、学校も休みがちで、ふさぎ込んだ。体調は季節や天候に左右され、梅雨や秋口に悪化した。
 正江自身も当初から吹き出物と血尿、年齢を重ねると自律神経の乱れから目まいや吐き気、食欲不振など多様な症状に襲われた。特に悲しかったのは、30代で計7回も経験した流産。生理不順かと思っていると、突然出血。驚いて受診すると流産だと告げられた。出血があると入院し処置を受け、自宅に帰る。この繰り返しだった。
 7回目の流産の後、医師が言った。「このまま流産を繰り返すと、貧血で体が危ない」。夫も交えて話し合い、卵巣を摘出。ずっと女の子を望んでいたが、諦めるしかなかった。
 差別も家族を追い詰めた。集落の母親たちはわが子に「あの家で食べ物をもらっても食うな」と言い、正江の息子たちはのけ者にされた。ただ正江が油を配った親戚や近所の人は押し黙り、油を食べたことや自らの症状もひた隠しにした。「田舎の習慣というかね。人聞きの悪いことは隠そう隠そうとした」。義父母も決して検診を受けようとしなかった。被害者は皆、口をつぐみ、孤立していた。
 85(昭和60)年、47歳になった正江は、毒油を売ったカネミ倉庫や原因物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)を作ったカネカ、国の責任を問う集団訴訟に第5陣原告として加わった。夫と共に救済や謝罪を求め、東京や千葉などで窮状を訴える抗議行動にも参加。だが2年後、責任の所在が判然としないままカネミ倉庫と和解。わずかなお金を受け取って終わった。
 2004(平成16)年、正江は知り合いに頼まれ、体験や思いをA4サイズの紙2枚に書き、五島市内の被害者集会で読み上げた。「36年という年月は、私たち家族には長く、心身共に不安におびえ、苦しい苦しい毎日です。私たちを助けてください」
 カネミ油症は、健康な体も幸せだった家庭もずたずたにした。数十年続く目まいや体のだるさ。ここ数年は不整脈や腰痛で散歩すら満足にできない。一日中起き上がれないこともある。連れ添った夫は13年前、膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。
 正江は今も思う。「なぜ、私たち家族はここまで苦しまなければいけないのか」と。=文中敬称略=
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 長崎県など西日本一帯で広がったカネミ油症は、発覚して今年で50年。被害者の証言をシリーズで随時伝える。

◎カネミ油症

 カネミ倉庫(北九州市)が食用米ぬか油を製造中、熱媒体のカネカ製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入し一部はダイオキシン類に変化。長崎県など西日本一帯で販売され被害を広げた。1968年10月、新聞報道で発覚。当初約1万4千人が被害を届け出た。2018年3月末の認定患者数は全国で2322人(死亡者含む)、長崎県964人(死亡、転居含む)。

「家族に毒の入った油を食べさせてしまった」。正江さんは声を絞り出した。50年たった今も、後悔は続いている=五島市内