桜の馬場に「若殿様」 江戸中期、幼少の細川宗孝か

熊本藩5代藩主の細川宗孝が、幼少期に桜の馬場城彩苑の一帯で過ごしたことをうかがわせる永青文庫の「桜馬場御屋敷御用覚帳」

 江戸時代中期、熊本城内の桜の馬場城彩苑一帯に、熊本藩5代藩主細川宗孝(1718~47年)が幼少期を過ごした屋敷があったとみられることが永青文庫の史料で分かった。江戸時代の絵図などから、一帯は家臣らの屋敷があったと考えられてきたが、文書を調査した熊本大永青文庫研究センターは「若い殿様がいた歴史的に重要な場所だった」としている。

 史料は、永青文庫(東京)が熊本大に寄託している「桜馬場御屋敷御用覚[さくらのばばおんごようおぼえ]帳」。1718~32年の記録で、計17冊。この中に「若殿様」と記述がある。センターによると、当時「若殿」と呼ばれる可能性があるのは宗孝だけで、「御屋敷」という敬語も使われていることから、宗孝の住む屋敷だった可能性が高いと判断した。

 この覚帳は、屋敷から出された文書や、奉行所など外部から屋敷に届いた文書の写しをまとめたもの。宗孝の成長を願って毎月代継[よつぎ]宮(熊本市)で祈祷[きとう]をしたり、宗孝が父親の4代藩主宣紀[のぶのり]がいる花畑屋敷(現・同市花畑公園一帯)に遊びに行ったりする様子のほか、宗孝を世話する小姓[こしょう]や女中などの人員規模も記されている。

 稲葉継陽センター長は「次期藩主と目されている人物がどこに住んでいたかを知る史料は、あまり知られていなかった。大名家の組織運営の研究にも役立つ」と話している。

 城彩苑一帯が国の特別史跡に追加指定される見込みとなったことを受けて、センターが関連資料を調べていた。(飛松佐和子)

(2018年6月26日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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