【特集】事件史が物語る“警官殺傷” 拳銃強奪、殉職、教訓

警官が刺され、拳銃を奪われた富山中央署奥田交番(左)=6月26日、東京都清瀬市の東村山署旭が丘交番で殉職した警官の遺影に黙とうする警察官(右)=2007年2月13日

 富山市の交番で警察官が刃物で襲われ死亡、強奪された拳銃で小学校にいた警備員の男性が撃たれ亡くなった。世の中を震撼させる身勝手で凶悪な犯行は許されない。殉職された方のご冥福をお祈りしたい。平成になって30年間、これまで起きた警官殺傷の事件史を振り返る。(共同通信=柴田友明)

SAT隊員死亡のケースも

 11年前の2007年5月、警官ら4人が死傷した愛知県長久手町の発砲立てこもり事件は今も記憶している人が多いだろう。自宅に立てこもった男が通報で駆け付けた巡査部長(当時)や家族2人に発砲、重傷を負わせた。銃弾を浴びて屋外に倒れた巡査部長を挟み、投降を呼びかける愛知県警の捜査員と犯人の男との応酬が続き、結果として5時間余り救助できなかった。あおむけに倒れたまま、力なく体を動かし続ける巡査部長の姿は全国中継された。さらに救出の際に、機動隊の対テロ特殊部隊(SAT)隊員が凶弾の犠牲になった。

 この事件は多くの教訓を残した。最初にパトカーで出動した巡査部長には防弾チョッキ着用の指示はなく、防刃チョッキしか身につけていなかった。亡くなったSAT隊員はたまたま捜査車両の陰から出て前かがみの姿勢になったとき、防弾チョッキのすき間に銃弾が入り込み、隊員の体を貫いた。初動の対応、現場での連絡方法、装備面、そして何よりも捜査指揮について「失態だった」と警察内外で多くの批判が出た。今回、富山の警官ら2人が殺害された事件では発生から3時間後に県警本部長が会見を開き、状況を説明している。11年前の愛知の立てこもり事件を意識した捜査幹部は多かったのではないだろうか。

道案内装う

 派出所が襲われた未解決の事件がある。26年前の1992年2月14日未明、埼玉県境の東京都清瀬市の警視庁東村山署旭が丘派出所(現在は交番)で、大越晴美巡査長=当時(42)、死亡後警部補に昇進=が首や胸などを刃物で刺され、拳銃を強奪された。道案内を装った男の犯行とみられている。世田谷の一家4人殺害、八王子市のスーパー強盗殺人事件とともに警視庁にとって最重要の未解決事件だ。

 実弾5発が入った38口径回転式拳銃の白色ナイロン製つりひもが切られ、革製ホルダーごと奪う犯行だった。同僚は別の事件で出勤していたため、1人勤務だった時の犯行だった。大越さんの手には抵抗した際にできる「防御創」はなかった。

 警視庁は奪われた拳銃の行方の捜査を続けている。時効を迎えた2007年2月当時の共同通信の配信記事では「殺害方法や拳銃がその後も使用されていないことからなどから、犯人像として軍隊の特殊部隊に関係した者や、ガンマニアなどの可能性が浮上」などと報じられている。

 また、1989年5月には練馬署派出所に元自衛官の男が拳銃を奪うことを目的に警官2人を殺害した事件もあった。今回の富山での事件も、交番を襲撃した男は元自衛官で銃器を扱えるということでは共通点がある。さまざまな観点から今後、現場に即した課題が浮かび上がるだろう。

富山中央署奥田交番(丸印)、左上は小学校=6月26日、富山市(共同通信社へりから)

 11年前の愛知・長久手の立てこもり事件は名古屋編集部の事件担当デスクだった。現場に記者が展開、緊張した状況は今でも忘れない。当時の県警の対応の在り方についてはその後、警察小説でも扱われるようになった。過去の事例から現在の問題点も判断しなければならない。

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