昨今の中東情勢を読み解く3つのポイント 対立緊張の流動化加速、地政学的リスク急速に拡大

近年の中東情勢は、関係国の思惑が絡み複雑化を加速させている(画像出典:写真AC)

1.    中東情勢の現状

昨今の中東情勢については、各種メディアでも数多く報じられているが、「奇々怪々」と形容されることが多い。その最大の理由は、中東地域が歴史的、宗教的、民族的に複雑な状況にあり、そこに大国の思惑も絡み、更に複雑怪奇な状況となっていることが挙げられる。(例えば「敵の敵は味方」等)この状況は近年になって、更に流動化が加速している状況である。下記は過去1年間のみの政治的な出来事を並べたものである。
 

  • 2017年
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    6月5日:サウジアラビア等のGCC(Gulf Cooperation Council:湾岸協力会議)諸国等 によるカタールとの断交
  • 6月21日:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ (Mohammad bin Salman bin Abdulaziz Al Saud:以下「MBS」)が皇太子に昇格(⇒サウジアラビア国内での改革の推進)
  • 11月5日:サウジアラビア国内での王族等の拘束問題
  • 12月4日:イエメンの反体制派(フーシ派(Houthis):シーア派)がサレハ(Ali Abdullah Saleh)前大統領を暗殺(⇒イエメン内戦(2015年2月6日~)が長期化・泥沼化)
  • 12月6日:米国によるイスラエルのエルサレム首都宣言

2018年

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    4月14日:米軍によるシリア攻撃
  • 5月6日:レバノン議会選挙でのヒズボッラー(Hizbollah)と同党と同盟する諸派の大躍進(70議席以上を獲得)
  • 5月9日:米国のイラン核合意からの離脱宣言
  • 5月10日:イラン革命防衛隊と思われる部隊によるシリア領内からイスラエル入植地へのミサイル攻撃
  • 5月14日:在イスラエル米国大使館のエルサレム移転

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2.  現状の中東問題の要因

上記の出来事は中東の大国であるサウジアラビア、イラン、トルコ、イスラエル等の複雑な関係に、米国及びロシア等の外的要因が加わり、更に複雑化している状況である。そのため、問題の根源を見極めるのは非常に困難であるとされる。

これらの問題の根源は、第一次世界大戦における英国等の中東政策に起因すると、よく言われているが、このような歴史的要因を別にした場合、大きく分けて下記の3点に集約できる。つまり下記3点は昨今の中東情勢を読み解くポイントであるといえる。

 ◆スンニー派対シーア派の宗派対立 ◆サウジラビア国内での改革の動きと積極的な外交姿勢 ◆米国の親イスラエル寄りの中東政策(=イスラエルの強硬政策)

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3.  スンニー派対シーア派の宗派対立

イスラム教は大きく分けて、スンニー派(Sunni)系とシーア派(Shia)系の2つの宗派がある。この2つの宗派の主導的な立場の国がサウジアラビアとイランである。ちなみに、全世界のイスラム教徒のうち、スンニー派系が87~90%、シーア派系が10~13%と言われている。

スンニー派とシーア派の分裂を紐解くと、下記のようになる。イスラム教の創設者であるムハンマド(Muhammad ibn `abdullah ibn `abd al-MuTTalib:570頃~632)の没後、正統な代理人として、4代にわたるカリフ(Caliphs)時代(正統カリフ時代)においては分裂はなかったが、4代目のアリー('Ali ibn Abi-Talib)の死後、シーア派系は4代目のアリー(妻はムハンマドの娘)の子孫がカリフであるべきとし、一方、スンニー派系は話し合いでカリフを決めるということで、分裂するに至った。

シーア派が多い地域はイラン、イラク南部、アラビア湾岸地域、アゼルバイジャン等が主であるが、イランが主導的立場となっている。但し、中東の2つの宗派が長年にわたり、対立していた訳ではない。対立を決定付けたのは1979年2月のイラン革命である。この革命はパフラヴィー(Pahlavi)朝のモハンマド・レザー・シャー国王(パフラヴィー2世:Mohammad Reza Pahlavi)の西欧的な国を亡命中であったシーア派の精神的指導者ルーホッラー・ホメイニー(Ruhollah Khomeini)を支柱とする革命勢力が打倒し、政教一致のシーア派国家であるイラン・イスラム共和国が建国されたことに端を発している。

これに対し、中東のアラブ国家はイラン・イスラム共和国からの「革命の輸出」に神経を尖らせた。特に、シーア派住民が多い地域は石油が豊富な地域と重なるため、これらの住民が多いサウジアラビアをはじめとする湾岸地域は、自国内での革命の可能性が増大した。そのため、自国内の過半数がシーア派の隣国イラクが1980年9月にイランに攻め入り、イラン・イラク戦争が勃発した。この戦争では、アラブ諸国がイラクを支援したため、アラブ対イランという構図の戦争となり、1988年8月まで続き、アラブとイランとの関係悪化は決定的となり、今に至っている。

メッカ(Mecca)、メジナ(Medina)という聖都を有し、スンニー派系の盟主であるサウジアラビアにとって、ペルシャ人の国で、シーア派の主導的立場のイランとの対立は、このようなことを背景としている。

このようなスンニー派系とシーア派系の覇権争いが近年における中東情勢に多大な影響を与えている。例えば、①のカタール断交は、カタールがイランとの良好な関係を構築したことが主因である。また、④のイエメンのシーア派系反政府武装組織のフーシ(Houthis)は、同派の指導者であるフセイン・バドルッディーン・フーシ師(Hussein Badreddin al-Houthi)が2004年にイエメン治安当局に殺害されたのを機に、反政府活動を本格化し、現在ではイエメン北部を実質的に支配している状況である。このフーシ派はイランから支援を受けていると言われ、暫定政権(スンニー派)を支援しているサウジアラビア領土内にもロケット弾を撃ち込む等、サウジアラビアと対立している。更に、⑦のレバノンの総選挙におけるヒズボッラー(Hizbollah)の大躍進は、レバノンのスンニー派の盟主であるサウジアラビアとの対立の結果として見ることができる。

更に、シーア派系のアラウィ派(Alawites)が政権の主体となっているシリアについては、イランが名実ともに支援を行っており、そのことが、レバノン情勢、更には国境を接するイスラエルとの緊張関係にも多大な影響を与えている。

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4.  サウジラビア国内での改革の動きと積極的な外交姿勢

②のMBSの皇太子昇格は、サウジアラビアの近代化という面で特筆される。MBSは現サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ(Salman bin Abdulaziz Al Saud)国王(以下「サルマーン国王」)の息子(現在32歳)で、サルマーンが国王に即位した時(2015年1月23日)から次世代の王子として、注目を浴びていた。(MBSが国王に即位した場合、初代アブドゥルアズィーズ国王から見て初めての孫の代の国王となる)
 

MBSは2016年1月2日、サウジアラビア国内のシーア派指導者ニムル師(Nimr al-Nimr)がサウジアラビア国内で処刑されたことに反発したイラン市民よる駐イラン・サウジアラビア大使館襲撃事件に関し、翌日(1月3日)、イランとの断交を決定したが、この決定を主導したのはMBSとされる。また、MBSは①のカタール断交についても主導したとされており、MBSはシーア派の盟主であるイランに対する強硬な姿勢を貫いている。この背景には、下記のような要因があるとされる。

MBSは2016 年4 月25 日、サウジの今後の社会改革をまとめた「ビジョン2030」を発表した。この「ビジョン2030」は石油に依存した国家のあり方を変えるというもので、補助金を削減して国民全体に広く負担を求め、国営石油会社アラムコ社の株式の一部を株式市場に上場して得た資金を基に兆ドル規模の投資ファンドを設け、その資金で民間部門を肥育し、経済の門戸開放を進めて石油外収入を3 倍強にして財政収支均衡を図るという計画である。また、石油だけに依存しない経済財政運営の実現を目指し、女性の雇用拡大、観光業、エンターテイメント産業の振興等、極めて大胆に社会変革にも踏み込んでいる点で、サウジ社会全体に与えた影響は甚大で、王族の中からも大きな不満等が噴出したとも言われている。

このような改革を推進する上で、国内の不満の目を逸らし、イランに向けることが必要との認識があったとされている。また、③のサウジアラビア国内での王族等の拘束事件も発生しているが、この事件は王族を含む閣僚等、約200人が汚職容疑で拘束され、そのほとんどが財産放棄等の条件で釈放されたという事件である。この拘束の目的としては、汚職対策の他、MBSのサウジアラビア国内での求心力を高める目的であったともされている。
 

 

5.  米国の親イスラエル寄りの中東政策(=イスラエルの強硬政策)

米国はイスラエルの独立(1948年5月14日)以降、一貫してイスラエルに対し、寛容な姿勢、政策で臨んでいる。1995年10月には、エルサレム大使館法(Jerusalem Embassy Act)が米上下両院で可決され、イスラエルの首都をエルサレムとし、遅くとも1999年5月末までに、駐イスラエル米国大使館をテルアビブからエルサレムに移転することが規定された。

しかしながら、1993年8月に交わされたオスロ合意においても、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地の問題及びエルサレムの帰属問題等の重要事項はパレスチナ自治政府の暫定自治の開始から3年以内に解決することが盛り込まれていることから、1999年5月以降も歴代大統領は安全保障上の問題を理由に6ヶ月ごとに移転についての拒否権を発動していた。しかしながら、トランプ大統領はこの拒否権を発動せずに、⑤のエルサレム首都宣言及び⑩の駐イスラエル米国大使館のエルサレム移転を強行した。

このトランプ大統領の親イスラエル的な姿勢、政策については、様々な要因が指摘されているが、最も大きな要因は、2016年の大統領選挙で公約としていたことが挙げられる。また、今年11月の中間選挙を前に、公約実現の実行力を前面に押し出し、ユダヤ教に好意的な米国内のキリスト教保守派の支持を拡大させたいとの意図も見ることができる。

また、イスラエルが中東地域において、最大の脅威としているイランについては、トランプ政権はイスラエルの主張をほぼ全面的に受け入れており、そのことが、⑧のイラン核合意からの離脱宣言、その後の⑨のシリア国内からイスラエル国内へのミサイル攻撃につながっていると言える。更に、イスラエルのネタニエフ(Benjamin Netanyahu)政権は、このような米国の支持を背景に、対イラン強硬策を拡大しており、この地域の地政学リスクを拡大させている状況である。
 

6.    まとめ

冒頭で述べた通り、中東地域は歴史的、宗教的、民族的に複雑な状況にあり、そこに大国の思惑も絡み、更に複雑怪奇な状況となっており、その傾向は近年全く変わっていない。これに上記3つのポイントが加わったことにより、更に複雑化する可能性が高い。

これらのポイントは、短期的に収束する可能性は極めて小さい状況である。特に、シーア派対スンニー派の宗派対立は、現状においては長期化する可能性が非常に高い。また、サウジアラビア国内の改革問題は、どのように今後進展するか未知数であるが、MBSの政権基盤が徐々に強固になっている現状では、大きく後退する可能性は低い。

 更に、トランプ政権については、公約の実行を優先していることから、今年11月の中間選挙、更には、3年後の大統領選での再選の可能性も高まっていることは、中東全体の問題解決を遅らせ、流動性を今後も高める可能性が高いと言える。

このトランプ政権の親イスラエル寄りの政策、姿勢は今後も続くことは、対イランにおける強硬姿勢もさることながら、場合によっては、対アラブ問題でも大きな影響を与える可能性も高いことは危惧される。特に、⑤のエルサレム首都宣言及び⑩の駐イスラエル米国大使館のエルサレム移転は、イスラム社会全体に大きな衝撃を与えており、米国に対する批判は増大している状況であり、サウジアラビアなど中東大国の反米的な姿勢、政策を助長することも想定される。一部ではトランプ政権が「パンドラの箱を開けた」との報道もされている。いずれにしても、中東地域の地政学リスクは昨今、急速に拡大しており、「世界の火薬庫となった」と表現する専門家もいる程である。中東地域が第一次世界大戦直前のバルカン半島にならないことを祈りたい。(了)

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