二百余年、耐え忍んだ信仰に光 「頭目」から伝道師・森松次郎 移住、逃亡… 教え説く

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 日本でキリスト教が禁じられた17~19世紀に、ひそかに信仰を続けた潜伏キリシタン。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、彼らが育んだ世界に類を見ない文化的伝統を物語る歴史遺産だ。2世紀以上に及んだ迫害に耐え、粘り強く信仰をつないだ人々の労苦が、世界遺産として注目を浴びることになる。

 キリスト教への信仰を隠して生きた「潜伏キリシタン」は農漁村で暮らす民衆だった。だから、歴史に名を残している人物はほんの一握りしかいない。
 その中で、五島キリシタンの指導者だった森松次郎は潜伏キリシタンを代表する人物と言えるだろう。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」でいえば、「外海の出津(しつ)集落」(長崎県長崎市)「頭ケ島の集落」(長崎県新上五島町)「大浦天主堂」(長崎県長崎市)と三つの構成資産に関わっている。

 ■ 神父に学ぶ

 松次郎は江戸後期の1835年、与重(よじゅう)、かを夫妻の長男として生まれた。洗礼名はドミンゴ。与重は大村藩領の黒崎村出津郷字浜(現長崎市出津地区)から上五島有川の鯛ノ浦に移住し、染め物業を営んでいた。松次郎は出津と鯛ノ浦のどちらで生まれたのかよく分かっていない。
 与重一家は潜伏キリシタンだった。信仰はあつく、家業も繁栄した。学を好む松次郎は大阪に塩魚を売りに行く親類に依頼して本を買い求めた。和歌を詠み、絵をたしなむ松次郎の下には有川の代官も訪れて歓談した。
 五島には与重一家と同じように、長崎・外海から多くの潜伏キリシタンが移住していた。やがて松次郎は五島の仲間から頭目と仰がれるようになる。
 1865年3月17日、長崎の大浦天主堂で、長崎・浦上村の潜伏キリシタンとフランス人宣教師プティジャン神父が出会った「信徒発見」が起きた。松次郎は神父に連絡を取ると、翌年2月、ひそかに大浦天主堂を訪ねた。正式な教理を熱心に学び、「使徒信経」の祈りや「天主十戒」の解説を筆写し、五島に持ち帰ってキリシタン集落に配った。
 1867年2月、大浦天主堂のクザン神父が五島に密行し、松次郎宅で待望のミサがささげられた。「司祭が黒船に乗ってやって来る」という予言を信じ、神父の再来を待ちわびていたキリシタンたちは非常に感激した。

 ■ 若者を指導

 松次郎はまもなく、有川の東方にある頭ケ島に移住した。伝染病患者の療養地として使われていた頭ケ島には長らく人が近寄らず、安全に信仰を続けられる利点があった。松次郎宅は仮の聖堂と同時に伝道師養成所となり、五島一円から潜伏キリシタンの若者が集まって、松次郎から教理を学んだ。
 ところが1868年11月、五島・久賀島の潜伏キリシタンが禁じられていた信仰を表明したのをきっかけに、五島列島で「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が始まった。頭目の松次郎は追われる身となった。頭ケ島を脱出すると、曽根、青砂ケ浦、冷水など上五島を転々とし、教えを説いたり洗礼を授けたりしながら仲間たちを励ました。
 松次郎は長崎・浦上に逃れ、妻と4人の娘は長崎港外の蔭ノ尾島(現長崎市香焼町)に隠れ住んだ。1869年2月、プティジャン神父はローマ公会議に出席するために長崎を発ち、松次郎を連れてフィリピン・マニラに向かった。
 ここで松次郎の教養が大いに生きた。禁教前の16~17世紀に日本で出版された「キリシタン版」と呼ばれる書物がマニラの修道会書庫に保管されていた。松次郎はこのうち、「ロザリオ記録」を筆写した。写本は現在、長崎純心大博物館に保管されており、流麗な筆跡を見ることができる。
 キリシタン弾圧に対する諸外国の抗議を受け、明治政府は1873年、259年ぶりに信仰を解禁した。松次郎は長崎・南山手のフランシスコ館に住み、女性に勉強を教えたり、プティジャン神父の出版事業や慈善事業を手伝ったりした。その後、平戸、生月、大島、黒島に赴いて伝道した。

 ■ 風流を好む

 松次郎のおい、森与重によると、松次郎は気概があり、同情心に富む言行一致の人だったという。身なりにはいっこうに構わず、外国の水兵が物乞いと間違えて金を恵もうとしたこともあった。ロザリオを手から離さず、小暇があれば祈りを唱える熱心な信者だった。4人の娘は皆、「幼きイエズス修道会」の修道女になり、信仰と福祉に生涯をささげた。
 松次郎は長崎で「ドメゴスさん」と呼ばれて親しまれた。和歌は大浦諏訪神社(長崎市相生町)の初代宮司、三宅古城に師事した。松華、後に松雲と号し、終生歌と画を好む風流人であり続けた。
 松次郎は日本人としての教養と、西洋思想の中核であるキリスト教の信仰を内面に併せ持つ、優れた近代人だった。1902年2月、長崎・南山手の長崎清心女学校で没した。68歳だった。墓は長崎市高尾町の赤城墓地にあり、妻「とは」と共に静かに眠っている。

 参考文献(著者敬称略)=森与重著「森松次郎翁小伝」▽浦川和三郎著「五島キリシタン史」▽片岡弥吉著「長崎のキリシタン」▽相川ノブ子著「墓碑探しあるき-幼きイエズス修道会-長崎の巻」(長崎談叢71号)▽若城希伊子著「小さな島の明治維新 ドミンゴ松次郎の旅」

森松次郎の肖像写真(「切支丹の復活」より転載)
松次郎が筆写した「ロザリオ記録」(長崎純心大博物館蔵)
松次郎が住んでいたと伝わる頭ケ島天主堂奥の居館跡碑=長崎県新上五島町友住郷