金属行人(6月29日付)

 先月、長年にわたりJFEスチールの産業医を務めていた清野良民医師が88歳で亡くなった。内幸町の清野・川端診療所で名誉院長をされていた清野医師は川崎製鉄の初代社長・西山弥太郎氏の主治医を務め、最期を看取ったことで知られる▼西山氏が没したのは1966年8月。当時の様子は「川崎製鉄五十年史」に詳しい。亡くなる前年から体調が思わしくなかった西山会長兼社長は海外出張から帰国すると病状が悪化。66年7月に社長職を藤本一郎副社長に譲り、翌月に逝去した▼千葉製鉄所建設の逸話から果断な経営者というイメージが強い一方で「以勤補拙」を旨とする努力家。公私の別に厳しく、通院時にも社用車を使わず、川崎病院で一般の患者と共に受付へ並んでいたという。求心力は抜群で、西山氏も現場で多くの人と気さくに議論することを好んだ。30歳代だった清野医師には「あなたもいつか人を使う立場になる。良いところだけを見て使いなさい」との言葉を残している▼その西山氏が手掛けた千葉で第1高炉に火入れしたのは65年前の6月。同氏と接した人も数少なくなった。しかし時代は変わっても、その生き方や姿勢には今も学ぶものがある。

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