【特集】「負けるが勝ち」を実践した日本 賭けに勝った西野監督

ポーランド戦の後半、長谷部(左)に指示を出す西野監督=28日、ボルゴグラード(共同)

 多くの日本人が、長年抱いていたサッカーの常識が、ここ2カ月で根底から覆されつつある。監督交代からワールドカップ(W杯)ロシア大会開幕までの親善試合はわずかに「3」。にもかかわらず、西野朗監督が率いる日本代表は、チームの軸となる選手を固めるようとしなかった。それは、登録したメンバー23人全てを起用したことにも明らかだ。これは2カ月前の常識からいえば「無謀」そのもの。多くの人が不安を募らせたに違いない。

 ところが、発言につかみどころのなく〝天然感〟が漂う指揮官は、決勝トーナメント進出が掛かる1次リーグ最終戦で、規格外の「常識はずれ」をやってのけた。W杯という大舞台で、これまで「強者」だけに許されると思われていた「ターンノーバー」をやってのけたのだ。

 先発メンバーを6人も入れ替える。それが意味するところは、まったく別のチームになることだ。あまりにも大胆。結果によっては「無謀」と取られても仕方がない。それを西野監督は選択した。

 決勝トーナメント進出の条件は、引き分け以上なら文句なし。敗れてもコロンビア対セネガルの結果によっては可能だった。

 試合が行われたロシア南部のボルゴグラードはピッチこそ日陰になるとはいえ、4年前のクイアバを思い出させる暑さだった。W杯ブラジル大会の1次リーグ最終戦。同リーグ突破に可能性を残す日本がコロンビアと対戦して、完敗した場所だ。

 その暑さから、走力勝負にはならないサッカー条件。すでに敗退が決まっているポーランドは、必ずしも全力を出しているわけではなかった。それでも国際サッカー連盟(FIFA)ランキングでグループ最上位のチームは、時折繰り出す鋭いカウンターで日本に襲いかかる。それを食い止めたのは、これまでの2試合で不安定な守備から失点に関わったGKの川島永嗣だった。

 前半32分、右からのクロスを受けてグロシツキの放ったヘディングシュートは、左ポスト際を襲った。難しいコースに放たれたシュートを、俊敏なステップを見せた川島がダイブで対応。ゴールラインを半分越えたボールを右手一本でかき出すスーパーセーブで失点を防いだ。「前の試合でチームに迷惑をかけたので、チームに貢献できたのはよかった」。川島本人も満足げに振り返るほどの好プレーだった。

 0―0の時間をなるべく長くして、ワンチャンスでゴールをものにする。日本、そして西野監督の狙いはそうだったのかもしれない。しかし、急造の組み合わせだったこともあって、攻撃時のコンビネーションはここまでのクオリティーには及ばなかった。必然的にゴールの期待は遠のいた。

 そんな中、試合の均衡が破れる。後半14分、今大会初先発となった山口蛍が与えたフリーキック(FK)。左サイドからクルザワが放ったボールを、これも初出場となる酒井豪徳のマークを外してフリーとなったベドナレクが、右足で合わせ先制点を奪ったのだ。

 同組のコロンビアとセネガルが引き分ければ日本の敗退が決まる。本来は自力突破の最低条件である引き分けに持ち込むために攻撃に出なければならなかった。ところが、ベンチに吉報が届く。コロンビアが後半29分に1点を先取したのだ。ここで、日本とセネガルは勝ち点、得失点差とすべて並んだ。さらに、直接対決の結果も2―2に引き分け。その状況で両者の優劣をつけるのは、警告などの数を点数化する「フェアプレーポイント」。日本は警告数でセネガルより少なかった。

 後半33分、ウオーミングアップのエリアにいた長谷部誠がゴールラインの後方までいって、ピッチにいた長友佑都に何かを伝える。ここから西野監督の大胆采配が振るわれる。長谷部が長友佑都に伝えたのは、他会場の結果。その上で「後ろ(DF)は絶対に失点するな。あとはイエローカードに気をつけろと伝えました」。それは0―1の敗戦での勝ち上がりを決断した瞬間。そう、「負けるが勝ち」を実践するのだ。

 決断の根拠は何だろう? いくら考えても、裏付けが何ら見つからない。何より、セネガルが追いつく可能性は十分にあるのだ。それでも、覚悟を決められるのが「勝負師」なのだろう。西野監督が最後のカードとして投入したのは、守備的MFの長谷部。ここから、日本は最終ラインでボールを回し、時計の針を進めることに腐心した。勝利を確実にしているポーランドが深追いはしなかったことも日本にとって追い風となった。そこまでを見越しての采配だとしたら見事としかいえない。

 試合直後のインタビューで西野監督は自身の戦略を「不本意な選択だった」と語った。そして、日本の試合が終わった数分後、コロンビア対セネガルも1点差のまま終了。ピッチにたたずんでいた日本の選手たちもようやく、喜びの表情を見せた。

 大会前はまったく期待されなかったチームによる予想外の決勝トーナメント進出。これは手放しでたたえられるべきことだろう。しかし、それ以上に大きかったのは、日本が「新たなステージの扉」を開けたということだ。

 W杯。それは日本にとって、出場することが最大の目標だった。本大会での目標も決勝トーナメント進出。だから、1次リーグの3試合をベストメンバーで挑み、全力で戦う。結果、消耗したチームは、ベスト16の壁で2度とも阻まれた。ところが、今回はまったく違う。1次リーグ第3戦で主力のほとんどを温存できたという事実は、初の8強入りを掛けた次戦をフレッシュなベストメンバーで臨めるということだ。「勝負できるチーム」が控えている頼もしさを感じる。

 2カ月前まで日本に存在した「常識」はすべて覆された。正直、西野朗という指揮官の底が見えない。決勝トーナメント1回戦でたとえ敗れたとしても、日本代表、そして日本国民に新たな考え方が植え付けられたのは大きな収穫だ。それは、弱小アジアの代表国である日本が世界の中堅国になれるかもしれないということだ。

 いま、ロシアの地で日本代表にすごいことが起こっている。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目となる。

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