【熊本城のいま】城彩苑「歴史踏まえ整備」

観光客らでにぎわう「桜の馬場城彩苑」。市は立ち並ぶ建物を「江戸時代の武家屋敷風」と説明する

 熊本大の永青文庫研究センター。センター長の稲葉継陽教授は今月25日、細川家の古文書「桜馬場御[さくらのばばおん]屋敷御用覚帳[ごようおぼえちょう]」を初めて読み解きながら、驚いた表情になった。

 「『若殿様』とは…これは宗孝[むねたか]か」

 御屋敷は、現在の熊本城「桜の馬場城彩苑」付近にあったとみられていた。その屋敷の日報とも言える覚帳に、「若殿様」という記載があった。記録期間は江戸中期の1718年から32年まで。その間に若殿と呼ばれたのは、後に熊本藩5代藩主となった細川宗孝(1718~47年)のほか考えにくい。このため稲葉教授らは、この屋敷で宗孝が幼少期を過ごしたとみられると結論づけた。

 江戸時代の絵図などから従来、城彩苑一帯には武家屋敷があったと言われてきた。だが、今回の文書でさらに「若い殿様がいた歴史的に重要な場所だったことになる」と稲葉教授は話す。

 城彩苑の一帯は、かつて県営プールだった。熊本市は2011年、民間資金を活用しながら、プール跡地(約1・5ヘクタール)を観光施設として整備。飲食・おみやげ物の販売スペースと、歴史文化体験施設をオープンさせた。立ち並んだ瓦屋根の建物を、市は「武家屋敷風」と説明する。

 城彩苑の南西側には、国の熊本合同庁舎跡が隣接。ともに旧城域内にあるため、市はかねてから特別史跡への追加指定を国に働き掛けてきた。それが今秋にも実現する見通しとなり、稲葉教授はあらためて「きちんと歴史を踏まえた上での史跡整備が求められる」とくぎを刺す。

 市によると、城彩苑整備には、九州新幹線鹿児島ルートの全線開業に合わせ、城と中心市街地の結節点をつくる狙いもあったという。熊本城総合事務所は「お城の案内や土産物の販売など、一定の役割を果たしてきた」と評価する。

 ただ、中心市街地では間もなく桜町の再開発ビルも完成予定。周囲の環境も今後変わる。総合事務所の津曲俊博首席審議員は「将来は隣接する合同庁舎跡と合わせて、環境の変化に応じた整備・活用の見極めが必要になるだろう」と話している。(飛松佐和子)

(2018年6月29日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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