観光ガイド「有馬の郷」会長 佐藤光典さん(72) 伝える使命 決意新た 資産除外の失意乗り越え

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に含まれる「原城跡」など長崎県南島原市内の史跡を知り尽くしたベテランガイドの一人。「世界遺産登録が決まり、最高の喜び」と笑顔を見せる。
 同市北有馬町出身。旧北有馬町職員として42年間働き、教育委員会に勤務時は「日野江城跡」(国指定史跡)の整備計画策定や町史編さんに携わった。定年退職後、2007年に地元で発足した「有馬つんなも会」に入会し、史跡ガイドの活動を始めた。
 現在、同会のほか、「南島原ガイドの会 有馬の郷」会長も務め、市内ガイドを束ねる。原城跡は江戸時代前期にキリシタンの農民軍と幕府軍が激戦を展開した「島原・天草一揆」の古戦場で、目立ったものは残っていない。「話し言葉で当時の情景や息遣いをお客さんに想像してもらう必要がある」と真摯(しんし)に来訪者と向き合うが、登録までには大きな失意も経験した。
 ユネスコ諮問機関から「禁教期に焦点を当てるべきだ」と指摘され、推薦内容を見直す際に日野江城跡が構成資産から除外された。「非常にショックで悔しく、言葉にならなかった」と当時の無念ぶりを振り返る。
 日野江城跡は原城跡の約3キロ北方に位置し、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍したキリシタン大名有馬晴信の居城だった。城下には教会やセミナリオ(神学校)が立ち、キリシタン文化が繁栄した。「なぜキリスト教が禁じられたのか理解するためには、潜伏の時期だけでなく、前の段階を知る必要がある。そのためにも日野江城跡も見てほしい」との強い思いは消えない。
 今も予約が入れば日野江城跡のガイドをしている。構成資産から除外されて以来、来訪者はめっきり減ったが、熱心に案内し、秘められた歴史を説明する。「原城跡と日野江城跡を一つのセットととらえ、活用策を考えてほしい」と願っている。

原城跡で観光客を案内する佐藤さん=南島原市南有馬町

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