日本時間の今夜未明、決勝トーナメント一回戦でベルギーと対戦する日本代表。
相手は世界屈指のタレント軍団だが、この大一番を制すと2002、2010年大会に残した最高成績のベスト16を超え、日本サッカーの歴史に新たな一ページを書き加えることとなる。
そこで今回は「過ちを繰り返すな」という想いを込め、過去6大会で日本を“敗退に追いやった”男たちをご紹介。あの悔しさを胸に、いざ、まだ見ぬ未知の世界へ。
ダヴォール・シュケル(クロアチア)
1998年ワールドカップ(フランス)
グループ第2節 0-1●
1998年当時、ワールドカップ初参加となった日本代表の展望については決勝トーナメントに「イケル」という論調が多かった。
それは同じグループではジャマイカ、クロアチアと初出場のチームが続き、アルゼンチンさえ何とかすればというのが根拠であった。しかも、クロアチアはエースストライカーのボクシッチを怪我で欠いていた。
だが、そんな世間の甘い読みを打ち砕いたのが、現クロアチアサッカー連盟の会長を務めるダヴォール・シュケルである。
今考えればクロアチアは元ユーゴスラビア代表であり、メンバーにはボバン、プロシネツキら大物揃い。シュケルもレアル・マドリーの選手であり、この大会で得点王を獲得、クロアチアは3位に輝いた。クロアチア代表通算45得点は歴代最多得点である。
ウミト・ダヴァラ(トルコ)
2002年ワールドカップ(日韓共催)
ラウンド16 0-1●
日本中が盛り上がった地元開催のワールドカップ。フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表はグループステージを2勝1分の1位で突破した。
決勝トーナメント1回戦の相手はトルコ。約半世紀ぶりのワールドカップとなるチームを前にベスト8進出の期待は否が応でも高まったが、開始12分にCKからウミト・ダヴァラのヘディング弾でトルコが先制。ふっと気が抜けた瞬間のセットプレーを見事得点に繋げられてしまった。
日本もその後チャンスを作るが、三都主アレサンドロのFKがゴールバーに阻まれるなど、最後までトルコゴールをこじ開けることができず。しとしとと降る雨が宮城スタジアムに詰まった希望を静かに流していった。
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル)
2006年ワールドカップ(ドイツ)
グループ第3節 1-4●
中村俊輔が蹴ったキックが高く上がり、マーク・シュウォーツァーの頭上を超えた。2006年大会の初戦となったオーストラリアとの試合では、ラッキーな先制点からリードを奪った日本代表。
ところがその後逆転を許して敗北すると、次節のクロアチア戦でも引き分け。急に大きなチャンスを得た柳沢は、私生活ほどの決定力を見せることができなかった。
3戦目の相手はブラジル。玉田が幸先の良い先制点を決め、奇跡の可能性を感じさせたが…前半アディショナルタイムにロナウドの同点ゴールを許し、後半8分にはジュニーニョ・ペルナンブカーノが予測不可能の無回転シュートを放つ。
川口能活は正面に捉えるも弾けず…。このゴールが2006年の日本代表を敗退に追い込み、そして中田英寿のキャリアを終わらせた。
オスカル・カルドーソ(パラグアイ)
2010年ワールドカップ(南アフリカ)
ラウンド16 0-0(PK3-5)●
本田圭佑をFWに起用する奇策が成功し、自国開催以外で初めて決勝トーナメントに到達した日本。
しかしグループステージを目いっぱいの力で戦い抜いた彼らに余力はなく、ラウンド16では堅守のパラグアイを崩せず0-0のままPK戦へ。3番手・駒野友一のキックが無情にもバーを叩いたことで、2002年大会に続いてベスト16で涙を呑むこととなった。
そんな試合でパラグアイのゴールを守ったのは、先月行われた日本との親善試合を最後に現役を引退したビジャール。そして、勝負を決する最後のキッカーを務めたのが、ベンフィカなどで活躍した左利きの長身FWカルドーソだった。
ジャクソン・マルティネス(コロンビア)
2014年ワールドカップ(ブラジル)
グループ第3節 1-4●
勝つしかなかった日本に“違い”を見せたのはハメス・ロドリゲスだったが、望みを打ち砕いたのは“フィジカルモンスター”ジャクソン・マルティネスだった。
冷静なポジショニングから左足で勝ち越しゴールを奪うと、その後3点目も追加して、日本に引導を渡した。当時はとんでもない怪物FWだったジャクソン。ポルトではまさに無双だったが、その後のキャリアでは苦しんでいる。
アトレティコ・マドリーを半年で後にすると、中国では深刻なケガの影響もあり長期離脱。2016年10月以降全くプレーできておらず、現在は無所属になっている。そして、彼が代表で決めた最後のゴールは、この日本戦の2得点だ。