桂歌丸さん死去 81歳、「笑点」で人気に 生粋ハマっ子

 生粋のハマっ子で、演芸番組「笑点」で親しまれた落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去した。81歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻椎名冨士子(しいな・ふじこ)さん。お別れ会を11日午後2時から同市港北区菊名2の1の5、妙蓮寺で開く。

 

 市立南吉田小学校4年の時に落語家を志し、15歳で古今亭今輔に入門、後に桂米丸さんの門下に入った。二つ目時代の1966年に始まった「笑点」の大喜利レギュラーに抜てきされ、お茶の間の人気者に。68年に真打ちに昇進した。

 一方で、実力は寄席でも高く評価された。埋もれていた古典落語の発掘をライフワークとし、特に「真景累ケ淵(しんけいかきねがふち)」など名人三遊亭円朝ものに取り組んだ。

 幼少期から通ったという自宅近くの「三吉演芸場」(同市南区)では74年から40年間、194回にわたり独演会、一門会を開催。老朽化のため同演芸場の存続が危ぶまれると「三吉演芸場を残す会」の会長として再建に尽力した。2002年に開館した寄席「横浜にぎわい座」にも設立準備段階から深く関わり、10年からは玉置宏さんに代わって2代目館長を務めた。

 04年に落語芸術協会会長に就任し、若手の育成に力を注いだほか、全国で公演し落語の普及に尽力。06年には五代目三遊亭円楽さんの後を継いで「笑点」の司会に就き、16年5月まで大喜利をリードした。

 1989年に芸術祭賞、2005年に芸術選奨文部科学大臣賞、07年に旭日小綬章、16年には文部科学大臣表彰と受賞多数。県内では1991年に横浜文化賞、96年に神奈川文化賞を受けた。09年、本紙で「わが人生」を連載した。

 近年は骨折や肺炎、腸閉塞(へいそく)などを患いながらも、精力的に高座に上がり続けた。最後の高座は4月19日の国立演芸場だった。(文化部)

横浜にぎわい座館長に就任して抱負を語る歌丸さん=2010年8月5日撮影

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