広島丸、王貞治だけが達成した「出塁率5割」に挑む 球史に残る1年となるか?

広島・丸佳浩【写真:荒川祐史】

安打数より多い四死球数 突出した丸の出塁率

 6月30日に1000本安打を達成したばかりの広島・丸佳浩は、7月1日のDeNA戦で2本塁打を含む5打数3安打と大暴れした。特筆すべきは出塁率の高さ。2位のヤクルト・坂口智隆に大きく差を開ける.508までアップした。

両リーグの出塁率5傑

セ・リーグ
1丸佳浩(広).508(57安打61四球2死球)
2坂口智隆(ヤ).443(77安打41四球2死球)
3坂本勇人(巨).418(95安打43四球0死球)
4鈴木誠也(広).417(56安打37四球2死球)
5山田哲人(ヤ).413(74安打56四球0死球)

パ・リーグ
1近藤健介(日).466(75安打40四球1死球)
2秋山翔吾(西).434(105安打41四球3死球)
3柳田悠岐(ソ).407(93安打30四球1死球)
4山川穂高(西).403(72安打52四球7死球)
5中村奨吾(ロ).399(85安打30四球11死球)

 丸の出塁率は突出している。セ・パ両リーグの規定打席到達打者の中で、ただ一人安打数より四死球数が多い。今季の丸は、打率もさることながら、選球眼がずば抜けていると言える。

 NPBの出塁率の計算式は、1984年までは(安打数+四死球数)÷(打数+四死球数)だった。1985年からは(安打数+四死球数)÷(打数+四死球数+犠飛)になった。

 また、打撃タイトルとしては、セ・リーグは1967年から84年までは最高出塁数、パ・リーグは1962年から84年は最高出塁率(旧計算式)だった。そうした経緯があったため、NPBの公式サイトではシーズン最高出塁率のランキングは掲載されていない。

10傑中7回登場する王さんでも出塁率5割超えは2回だけ

 現在の計算式で計算したNPBのシーズン出塁率10傑はこうなる(戦前のショートシーズンの時期を除く)。

1王貞治1974年.534(巨人/128安打158四球8死球)
2王貞治1973年.504(巨人/152安打124四球4死球)
3王貞治1966年.499(巨人/123安打142四球7死球)
4王貞治1965年.493(巨人/138安打138四球6死球)
5王貞治1967年.490(巨人/139安打130四球7死球)
6王貞治1976年.488(巨人/130安打125四球2死球)
7落合博満1986年.487(ロッテ/150安打101四球3死球)
8王貞治1977年.482(巨人/140安打126四球6死球)
9落合博満1985年.48063(ロッテ/169安打101四球3死球)
10バース1986年.48059(阪神/176安打82四球2死球)

 10位以内には王貞治の名前が7回出てくる。他には落合博満が2回、バースが1回だけ。868本塁打の大記録を樹立した王貞治は、勝負を避け歩かされることが非常に多かった。このため、出塁率も圧倒的な数字になっている。なおショートシーズンだった1938年以前では、1937年秋に景浦將(タイガース)が出塁率.515、1938年春に桝嘉一(名古屋)が.493を記録している。

 しかしその王貞治でも出塁率.500超えは2回だけ。今年の丸は、ロングシーズンでは王貞治以外には誰も記録していない”5割超え”に挑戦しようとしているのだ。丸が以降の試合にフル出場し、今と同じペースで出塁するとすれば、最終的には132安打141四球9死球になる。141四球はこれも王貞治が1974年に記録した158四球、1966年に142四球につぐ史上3位の記録となる。

投手が勝負を避けるのではなく、純粋な選球眼で出塁する丸

 王貞治は出塁率1位の1974年、2位の73年といずれも3冠王。また、落合博満も7位の86年、9位の85年は3冠王。バースも10位の86年は3冠王だった。

 しかし今年の丸は、好成績ではあるが3冠王の可能性は低い。丸は、投手が勝負を恐れて歩かせようとする長距離打者ではなく、純粋にずば抜けた選球眼の高さで安打以上の四球を選び、空前の「出塁率5割」を実現しようとしているのだ。球史に残る活躍をしようとしている、丸佳浩の今後に注目だ。

(Full-Count編集部)

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