日本を沈めた決勝点のシャドリ、実は「ベルギー以外の代表国」で試合に出てた

ベルギーとの激闘の末にワールドカップで散った日本代表。

後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決めたのは、途中投入されたナセル・シャドリだった。

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彼は昨年の対戦でも、日本守備陣をドリブルで切り裂いた選手だ。

そのシャドリはWBAに所属する大型アタッカーで、1989年生まれの28歳。2014、2018年とワールドカップ2大会連続出場しているが、実は他の代表チームでもプレーした経験がある。

彼はリエージュ生まれながら、モロッコにもルーツを持っている。そして、21歳だった2010年11月にモロッコ代表の試合に出場しているのだ。

だが、それから2か月後にベルギーへの鞍替えを発表し、2011年2月にベルギー代表にデビュー。 『Guardian』によれば、その決断についてこう明かしていたそう。

ナセル・シャドリ

「モロッコを選ぶつもりだった。でも(ベルギーの)代表監督が、うちに来てみてどう感じるか見てみたらと誘ってくれた。

決断を急ぎたくはなかった。もし加わったなら、それを後悔したくはなかったんだ。

でも(ベルギーを)見に行って、ベルギーのためにプレーしたいと100%確信した。

まだモロッコを愛しているよ。でも確信できないものがあり、考慮して変えたんだ。

モロッコからはコミットするためのプレッシャーがいくらかあった。でも、ベルギーでは本当のプレッシャーはなかった。

(代表を変えるのは?)正しい行動のように感じたんだ」

シャドリがモロッコ代表としてプレーしたのは1試合だけ。その北アイルランド戦はフレンドリーマッチだったために、鞍替えが認められている。

また、同じく途中出場からゴールを決めたMFマルアヌ・フェライニ(マンチェスター・ユナイテッド)も、モロッコにルーツを持っている選手だ。

そのためモロッコ方面でも今回の一戦は話題になっている模様。フェライニの場合は父アブドゥラティフがモロッコの名門ラジャ・カサブランカでプレーしたGKだった。

『telquel』によれば、その父はこう明かしたことがあるそう。

アブドゥラティフ・フェライニ

「2005年のワールドユースに向けたモロッコU-20代表に息子は招集された。

だが、彼は親善試合で20分間プレーしただけで、代表に選ばれなかった。

それが彼を動揺させたんだ」

また、当時の監督ファティ・ジャマル氏からは「(フェライニが)最高レベルでプレーするのは絶対ムリ」と告げられていたとも。そんな選手がワールドカップでゴールを決めるのだから分からないものだ。

本人はベルギーを選んだ決断についてこう述べている。

マルアヌ・フェライニ

「モロッコでプレーすることもできた。だが、ベルギーのほうが早かったんだ。

プロになったから6か月後にベルギーから声がかかり、Noとは言えなかった」

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