「天草の崎津集落」地元ガイド 森田哲雄さん(77) 天草人へ「誇り持って」

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録決定の瞬間は、地元の富津コミュニティーセンター(熊本県天草市河浦町)で開かれたパブリックビューイングで見届けた。300人近くの住民らが歓喜し、「頑張ってきてよかった」と感慨に浸った。
 長崎市生まれ。父は三菱長崎造船所に勤め、母は諫早市森山町の人。1944年、4歳の時に戦火を避け、父の古里の崎津に疎開した。翌年8月9日、長崎の方角に立ち上った不気味なきのこ雲を鮮明に覚えている。
 長年地元の郵便局に勤めた。定年退職後の2007年、崎津集落が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産に加えられ、降って湧いたように世界遺産の話が持ち上がった。
 地元の区長として、すぐに「世界遺産を目指す会」を設立した。だが、当時の地域は「こんな過疎地域が世界遺産になるのか」「世界遺産など迷惑」と否定的な空気が大半。懸命に説得に当たった。
 天草は山が多く平地に乏しい。民衆は昔から厳しい生活を送った。19世紀後半には多くの女性が「からゆきさん」として海を渡った。森田さんの友人たちも中学を出ると集団就職で大都会に向かった。今も子どもたちは高校を卒業すると、進学と就職のために古里を出て行く。
 「あちこちで頑張っている天草人に、古里が世界遺産になったよ、と誇りを持たせたかった。ただ、それだけの思いだった」
 ガイドの際は、崎津の潜伏キリシタンが絵踏みをした後に足を水で洗い、それを湧かして飲んだ話をする。「強い罪の意識です。そうでもしないと生きていけなかった」。子どものころや郵便局勤務時に古老から聞いた話が役立っている。
 登録決定翌日の1日、崎津に大勢の観光客が押し寄せた。「もう若い人に任せようと思っていたが、そうも言っていられない」。引き続き地域の先頭に立つ。

「天草の崎津集落」を案内する森田さん=熊本県天草市河浦町

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