バスチャン伝説 土地に“潜伏”の記憶 長崎市外海 至る所に残る伝承

 世界文化遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の集落を歩くと、至る所で潜伏キリシタンの痕跡に突き当たる。構成資産がある長崎県長崎市外海(そとめ)地区では、禁教期に「バスチャン」という伝説の日本人伝道師が活動し、潜伏キリシタンの信仰を支える原動力になったという。土地に残る記憶を追った。

バスチャン伝説が残る地域

 ■謎の伝道師

 外海の人々が親から子へ、子から孫へと伝えてきたバスチャンの伝説は、浦川和三郎著「切支丹の復活」(1927年)に詳しい。
 同書によると、バスチャンは長崎市南部の布巻(ぬのまき)生まれの男性。ジワンという外国人の弟子になり、江戸幕府の厳しいキリシタン取り締まりをかいくぐり、危険を冒して外海を中心に伝道した。
 大村の潜伏キリシタン400人余が処刑された1657年の「郡(こおり)崩れ」では、大村湾に投げ込まれて内海(うちめ)(西彼杵半島東部)に漂着したキリシタンの遺体を拾い、自宅に運んで丁寧に葬ったという。だが、出津の住民の密告により、牧野の「岳の山」で捕まった。長崎・桜町の監獄に送られ、3年3カ月の間に78回の拷問を受けた末、斬罪となった。
 長崎市下黒崎町のキリシタン研究者、松川隆治さん(78)ら住民が黒崎教会そばに開設した「外海潜伏キリシタン文化資料館」では、バスチャンが残したと伝わる「日繰り」という1634年の教会暦を展示している。
 教会暦とはカトリックの祝祭日を記したカレンダーで、信徒は暦に従いながら日々の生活を送る。松川さんは「この日繰りがあったから、外海の潜伏キリシタンは信仰を守ることができた」と語る。

バスチャンが身を潜めていたという「バスチャン屋敷跡」で由来を説明する松川さん=長崎県長崎市新牧野町

 ■山の隠れ家

 新牧野町の山奥にある「バスチャン屋敷跡」に向かった。案内板に従い、車でくねくね曲がる細い道を上ってゆく。うっそうとした森の入り口に車を止めて5分ほど歩くと、谷底を流れる小川のそばに小さな石造の小屋があった。地元の保存会がバスチャンをしのんで1983年に建て、93年に建て替えた2代目だ。
 「バスチャンは外海を転々とし、ここが最後の隠れ家だった。立ち上る夕げの煙が見つかって捕まった」と松川さんが教えてくれた。
 次に構成資産の「外海の出津集落」になっている西出津町へ。海に近い「ひろがり」という道は、連行中のバスチャンが妻と出会って目配せをした場所。近くの出津の港を見渡せる斜面では、「柾(まさき)」という古木が枝を広げている。人々はここから、バスチャンを護送する船を見えなくなるまで見送ったという。
 バスチャンは処刑前に四つの予言を残した。「お前たちを7代まではわが子(信徒)と見なす」「罪の告白を聴く神父が大きな黒船でやって来る」「どこでも大声でキリシタンの歌を歌える時代が来る」「道で異教徒に出会うと先方が道を譲るようになる」。まるで信仰の自由が認められた時代を見越したようだ。
 過去の松川さんは「予言はあまりにも出来過ぎた話。後世につくられたのではないか」と疑っていた。だが、外海で布教したパリ外国宣教会は1888(明治21)年度の報告書でバスチャン伝説に触れており、当時から地元に言い伝えがあったことが分かる。松川さんは資料を調べ、地元で地道に聞き取りを続けるうちに、伝説が作り話ではないと納得するようになった。

「柾」から見た出津の港。人々が護送されるバスチャンを見送ったという=長崎県長崎市西出津町

 ■十字を記す

 出津から約5キロ南東の長崎県長崎市樫山町。ここにも「バスチャンのツバキ」の伝説が残る。
 樫山の「赤岳(あかだけ)」の麓にあったツバキの大木にバスチャンが指で十字を記すと、その跡がありありと残った。以後、樫山の人々は木をずっと尊んでいた。だが、幕末のキリシタン迫害「浦上三番崩れ」(1856年)の際、役人が切り倒しに来るとうわさが流れたため、自分たちで伐採し、木片を家々に配った。葬式の際には、小さく削った木片を布に包み、「お土産」として棺おけに入れていた。
 今となっては、どこにツバキがあったのか分からない。赤岳の麓にある「大神宮」という小さな神社に足を運んだ。「神社になる前は、バスチャンの師匠であるジワン神父の7人の弟子を祭っていた場所といわれる」と松川さん。

 最後は下黒崎町の枯松神社へ。社殿に続く参道の脇には、潜伏キリシタンがオラショ(祈り)を練習していた巨大な「祈りの岩」がある。松川さんが「ここは外海キリシタンの聖地。偉大な指導者のジワン神父を祭っている」と説明した。
 暗い森の中にたたずむ小さな社殿の地下には、今もジワンの墓が残っているという。社殿の中には、昭和初期までジワンの墓の上に載せていた石のほこらや、墓の脇に生えていた松の木の一部が大切に保管されていた。
 地元の伝承によると、ジワンはこの近くの岩屋に隠れ住んでいたが、大雪の時、世話をしていた女性が食べ物を運ぶことができず、寒さと空腹により息絶えたという。
 「地元にはたくさんの言い伝えが残る場所がある。それがバスチャン伝説の何よりの証拠」と松川さんは語る。「語り部」の松川さんを通して、風景が土地の記憶を語りかけているような気がした。

樫山・赤岳の麓の神社「大神宮」。傍らに「浦上三番崩れ」の際に殉教したキリシタン「茂重」の碑が立つ=長崎県長崎市樫山町
枯松神社の社殿内で保管されている石のほこら。かつて「ジワン神父」の墓に載せられていた=長崎県長崎市下黒崎町

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