ルポ・2007年登録 石見銀山(島根県) 人口増加 地域に活力 ガイドの経験と知識が重要

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 世界文化遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、人口流出に悩む離島などの過疎地域を活性化する切り札としても期待されている。世界遺産は地域をどう変えるのか。2007年に世界文化遺産に登録された「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)を訪ねた。

石見銀山遺跡

 ■若者が移住

 広島駅からバスで3時間弱。江戸時代に鉱山町として栄えた大森地区に着いた。緑豊かな山あいの集落は落ち着いた雰囲気だ。茶色の石州瓦(せきしゅうがわら)で統一された町並みには古い家屋や寺社が多く、ゆったりした時間が流れる。
 この日は金曜日。町中では、リュックを背負った年配者の小グループや外国人の観光客とたびたび擦れ違った。築150年の商家を活用したカフェに入ると、赤ちゃんを連れた地元の若い母親たちが談笑していた。
 大森地区は1923(大正12)年に銀山が休山した後、人口が急速に減少して過疎化。大正初期には5千人が住んでいたが、1969年には約40世帯に減った。ところが近年、人口は増加傾向に転じ、現在は197世帯、400人ほどが暮らす。
 大田市教委石見銀山課によると、大森地区には世界的な義肢装具メーカーやアパレル企業が拠点を置き、県外から移住する若い社員が増えているという。同地区には新たな宿泊施設やパン屋もオープンし、活力が生まれた。同課は「世界遺産のある町でものづくりを進めるスタイルが若い人の共感を呼んでいる」と分析する。

江戸時代に鉱山町として栄えた大森地区。往時の雰囲気を残す=島根県大田市

 ■説明に実感

 「ほら、これが間歩(まぶ)です」
 「石見銀山ガイドの会」の松浦良彦さん(69)が指さす。石見銀山には「間歩」と呼ばれる600もの小坑道があり、山林のあちこちに小さな入り口がある。教わらないと見過ごしてしまう。
 同会は2000年に発足し、現在の会員は約60人。観光客の希望に応じて有料でコースを組んでくれるほか、毎日定時に500円の「ワンコインガイド」を実施している。
 石見銀山遺跡には寺社や寺社跡が非常に多い。「最盛期の石見銀山周辺には20万人が暮らしていたといわれます。全国から人が集まったから、さまざまな宗派の寺がたくさん必要だったのです」。遺跡を歩きながら詳しい説明を受け、大量の銀を世界に送り出した石見銀山のスケールの大きさを実感した。
 松浦さんは千葉県で小学校教員を務め、定年を機に拠点を故郷の島根に移し、銀山ガイドの資格を取った。地元で地質研究会を主宰するなど研さんを怠らない。「ここは遺跡だから見ただけでは往時の姿は分かりにくい。価値を理解してもらうためにガイドの役割は重要」。経験と知識を生かして郷土に貢献している。

石見銀山ガイドの松浦さん。公開している「龍源寺間歩」は坑道内の見学も可能=島根県大田市

 ■地元に誇り

 世界遺産登録前は年間約30万人だった石見銀山の観光客数は、登録翌年の08年に81万人に急増した。しかし10年は39万人に減少。出雲大社(出雲市)で「平成の大遷宮」があった13年は51万人と盛り返したが、その後は減り続け、17年は32万5千人。ほぼ登録前の水準に戻った。
 大田市教委石見銀山課によると、登録直後は観光バスで客が大量に乗り付けて1~2時間滞在し、すぐに出雲大社や玉造温泉に行ってしまうケースが目立った。大量のごみやトイレ不足の問題も出た。
 同課は「目標は50万人。もっと情報発信や新たな仕掛けが必要」とした上で、「現在は3~4時間滞在し、時間をかけて歩く観光スタイルが定着した。望ましい形になっている」と説明する。
 大田市が力を入れているのが、市内の小中学校が対象の「石見銀山学習」だ。小中学生が授業の一環で遺跡を訪れ、歴史や価値を学ぶ。小学6年生と中学生には学習副読本も配布している。同課は「子どもたちが地元に誇りや愛着を持つようになっている」と話す。
 大森地区の真ん中にある立て札が目に留まった。07年に住民が制定した「石見銀山 大森町住民憲章」が記されている。
 「私たちはこのまちで暮らしながら人との絆と石見銀山を未来に引き継ぎます」
 郷土を愛し、世界遺産を守る住民の心意気が伝わってきた。

町の真ん中にある「石見銀山 大森町住民憲章」の立て札=島根県大田市