長崎とキリスト教 伝来から450年 関係深く 起伏に富む歴史経て現代に

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の背景には、450年以上に及ぶ長崎県とキリスト教の深い関係がある。伝来から繁栄、弾圧、潜伏、復活という起伏に富む歴史を経て、現代につながっている。

長崎・天草とキリスト教

 ■繁 栄

 1549年、鹿児島に上陸して日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師ザビエルは、翌年に長崎県北部の平戸に来航して布教した。
 ポルトガル貿易はキリスト教の布教と表裏一体であり、武器と富が得られる貿易を求め、キリスト教を保護する戦国領主も多かった。大村領主大村純忠は1563年、自ら洗礼を受け、国内初の「キリシタン大名」になった。
 長崎県内では領主が改宗した大村や島原半島の有馬、平戸島西部、生月で集団改宗が進んだほか、五島列島でも布教がなされ、民衆が続々とキリシタンになった。各地に教会が立ち、信徒による「慈悲の組」など信仰共同体が組織された。
 純忠は1571年、ポルトガル貿易のために長崎を開港し、やがて長崎の町をイエズス会に譲渡した。長崎は「日本の小ローマ」として布教の中心地になっていった。
 有馬にはセミナリオ(神学校)が開設され、キリシタン文化が花開いた。キリシタン大名の純忠と有馬晴信、豊後(大分)の大友宗麟はイエズス会の提言を受け、セミナリオで学んでいた武将の子弟を天正遣欧使節としてローマ法王の下に派遣した。

 ■弾 圧

 キリスト教が繁栄した地域では在来宗教の仏教や神道に対する迫害が起き、キリシタンが神社仏閣を破壊した。豊臣秀吉は1587年、伴天連追放令を出し、布教と大名の信仰を禁じた。1597年には、長崎・西坂で宣教師や修道士、信徒計26人を処刑した(日本二十六聖人の殉教)。
 江戸幕府を開いた徳川家康は1614年、全国に禁教令を出した。ほぼ全住民がキリスト教徒だった長崎では、町中にたくさんあった教会が破壊された。
 二代将軍秀忠の代になると弾圧は激しさを増し、多くのキリシタンが残酷な刑罰で処刑された。長崎では1628年ごろ、キリストや聖母マリアの絵や像を踏ませて信者でないか確かめる「絵踏み」が始まった。
 1637年、とりわけキリシタンが多かった島原半島と熊本県天草で、悪政と弾圧に耐えかねた農民が蜂起し、「島原・天草一揆」が起きた。一揆軍は半年にわたって原城跡に籠城し、幕府軍と交戦したが敗北した。

豊臣秀吉の命でカトリック信者が処刑された「日本二十六聖人殉教地」=長崎県長崎市西坂町

 ■潜 伏

 一揆後、幕府は禁教政策を強化した。宣教師の入国を遮断するため、ポルトガル船の来航を禁止し、海外交易を大幅に制限する「鎖国」の体制を確立した。住民は必ずどこかの寺の檀家(だんか)とされ、一人一人の宗派を記した宗旨人別帳が作成された。宣教師やキリシタンの存在を密告した者には懸賞金を出すなど厳しく監視した。
 1644年には国内で活動していた最後の神父、小西マンショが殉教した。神父不在の中、キリシタンは禁教に順応し、仏教徒や神道の氏子を装い、ひそかに信仰を続ける「潜伏キリシタン」になった。
 キリスト教の信仰が続いていた地域では、信仰共同体が潜伏組織に変化し、信仰を隠しながら洗礼やオラショ(祈り)、教理を地域ぐるみで伝承した。だが、幕府の厳しい取り締まりで大村、豊後、濃尾の潜伏組織が次々に壊滅し、主に長崎県の離島や半島部と天草に残るだけとなった。
 1797年、大村藩と五島藩が農民の移住協定を結ぶと、人口増大が進んでいた大村藩領の長崎・外海地区から多くの潜伏キリシタンが五島列島に移住した。彼らは未開地を切り開いて新たなキリシタン集落を形成し、厳しい生活を送りながら信仰を続けた。

 ■復 活

 幕末になると、日本は欧米列強の外圧を受けて開国した。長崎には外国人居留地が造られ、再来した外国人宣教師が大浦天主堂を建てた。1865年、長崎・浦上村の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、宣教師に信仰を告白した「信徒発見」が起きた。
 県内各地の潜伏キリシタンは宣教師の指導を受けて続々とカトリックに復帰し、隠していた信仰を表明する地域も現れた。江戸幕府の禁教政策を引き継いだ明治政府は、信仰を公にした浦上や五島のキリシタンを激しく弾圧した。
 キリシタン弾圧に諸外国から抗議が相次ぎ、政府は1873年、禁教令の高札を撤去して259年ぶりにキリスト教を解禁した。かつての潜伏集落では、カトリックになった信徒が和洋折衷の素朴な教会を次々に建てた。
 一方で宣教師の布教を受け入れず、信仰を隠していた禁教期の信仰形態を続ける「かくれキリシタン」になった人々も多かった。戦後になると、かくれ信者の組織は減少の一途をたどった。現代では、生月や外海、五島列島にわずかに残るだけとなっている。
 現代の長崎県には約6万1千人のカトリック信徒がいて、全国の信徒数の約14%が集中している。長崎県内には約130のカトリック教会があり、都市部や離島など至る所で風景の中に溶け込んでいる。

「信徒発見」100周年記念ミサで祈るカトリック信徒=2015年3月17日、大浦天主堂
仏寺とカトリック教会が隣り合う「寺院と教会の見える風景」=長崎県平戸市鏡川町

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